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2009年7月

2009年7月31日 (金)

差出シ申一札之事 文久二年(1862) 越畑・金泉寺文書 129

   差出シ申一札之事
一此度金泉寺御隠居ニ付各方御立
 会之上諸事御取調被成候所同寺
 先代質物ニ取添之地所去ル頃私方へ
 質地ニ取置候処寺世話人衆加印も
 無之不相当之証文ニ而地所買取候所
 御尋ヲ請何共可申立様も無御座先
 非後悔仕御詫申上候処早速御聞
 済被成下置候様然ル上者已来相慎
 何事ニよらず右様之儀仕間敷候
 為後日一札入置申処而如件
  文久二年戌五月日
           当人 辰五郎○印
           親類 善蔵○印
           詫人 善左衛門○印
   金泉寺
    御世話人衆中様

          越畑・金泉寺文書 129.pdf

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2009年7月30日 (木)

相定申手形之事 宝永四年(1707) 越畑・金泉寺文書 130

   相定申手形之事
一今度我等預り申候喜右衛門分畑こ谷
 ニ而下々畑八升蒔之所遣シ金泉寺分
 山下ニ而下々畑七升蒔之替合仕候
 所実正也右ハ我等望ニ而取替申上者
 若地主喜右衛門構申候者何時成共
 我等持分之所御望次第ニ右之升
 同程引替可申候其節少も
 違乱申間敷候為後日手形仍而
 如件
          地主 市左衛門印
          証人 市郎左衛門印
  宝永四年亥九月廿二日
   名主組頭中
     惣旦中

          越畑・金泉寺文書 130.pdf

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2009年7月29日 (水)

差出申一札之事越畑 文政十一年(1828) 越畑・金泉寺文書 131

    差出申一札之事
一当郷広見寺舎下祖関義他行先ニ而
 貴寺様江掛錫仕候処当人御目鏡ニ叶御取上
 御世話被成度節付拙寺共江御頼被成候故
 則広見寺江対談致し候処於祖関身分者
 後日毛頭構無御座候得共少々之訳合有之
 当寺讖謝等相許候儀者相成兼候趣ニ
 御座候処拙寺共気毒ニ存候ニ付両寺ニ而
 祖関身分請合申上貴寺様江御世話
 御頼申上候尤法類中より故障之儀有之候ハヽ
 拙寺共引請貴寺様江少茂御苦難相掛
 中間敷候然ル上ハ祖関身分御任申上候間
 乍此未宜敷奉願上候為後日仍而如件
               秩父大宮郷
   文政十一戌子年         慈眼寺
        二月     同所
                          蔵福寺
      金泉寺様
        御侍者中

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2009年7月28日 (火)

替地取極議定証文之事 天保九年(1838) 越畑・金泉寺文書 132

   替地取極議定証文之事
羽太様御分
 下田弐畝歩        拾三間浪浦
羽太様御分
 見取畑弐畝歩       川越岩入
右之地所拾三間浪浦川越岩入ニ而荒地所持有之
候処是迄年々野火焼ニ相成上木等一切出来不申
候而御年貢引当も無之ニ付四給村役人中江
御願申上其上村相談を以拾三間浪東ひら山附付
幡後谷前入山附二ヶ所替地いたし候処相違無
御座候然上者右之場所当寺持分与相心得
永々支配可致筈議定取極置申候若以後
右之地ニ付違論申もの有之候ハヽ此書付ヲ以
無相違所持可致候為後日議定連印依而如件
  天保九戌三月
         当人地主 金泉寺○印
         名主   治兵衛○印
         組頭   要助○印
         名主   利兵衛○印
         組頭   吉兵衛○印
         名主   常右衛門○印
         組頭   金次郎○印
         名主   周蔵○印
         組頭   惣左衛門○印

          越畑・金泉寺文書 132kinsenji.pdf

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2009年7月27日 (月)

碧孝和尚代改立合連判状 享保六年(1721) 越畑・金泉寺文書 133

        三 青木与平次○印
        二 市川左平次○印
        一 舟戸治兵衛○印
        左 久保小平次○印
一武州比企郡越畑村金泉寺
        右 青木市郎右衛門○印
        四 強瀬利兵衛○印
        五 馬場孫右衛門○印
 右之通金泉寺碧孝和尚代改之
 何れも立合以連判相窮申所
 実正也子々孫々迄不可有違論者也
  享保六辛丑年四月日 越畑村

          越畑・金泉寺文書 133.pdf

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2009年7月26日 (日)

差出申一札之事 文久二年(1862) 越畑・金泉寺文書 134

    差出申一札之事
一此度金泉寺方丈御隠居ニ付右方
 御立会諸事御取調被成候処同寺先代
 取添之地所私加判ニ而同旦中内辰五郎方江
 方丈より質入之世話等仕置候ニ付御差当請
 一言之申訳無御座今更発明仕左之加判之者相頼
 御詫申上候処早速御勘弁被成下被置候得者
 然上ハ已来急度相慎右様之儀ハ不及申
 何事ニよらす内證之如何之世話仕間敷候
 依之為後日入置申一札仍而如件
    
                 当人 嘉兵衛○印
   文久二壬戌       親類 亀二郎○印
        五月日       詫人 佐兵衛○印
    金泉寺
       御世話人衆中

               越畑・金泉寺文書 134.pdf

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2009年7月25日 (土)

願上申一札之事 文化九年(1812) 越畑・金泉寺文書 135

    願上申一札之事
一私嫁ゆふ義当月十一日養子一件ニ付ふと欠出し
 村方溜井江致入水候間早速親里畠ヶ山村忠八
 方江右之訳ヶ申聞候所彼是ノ難渋ヶ間敷義被申候ニ付
 御地頭所様江御検使奉願上候所御両所御検使之上
 相訳り熟談内済仕依之取片ニ付被 仰付候ニ付
 送葬之式支度候間何卒御引導焼香之義
 当人ハ不及申ニ親類一同奉願上候右一件ニ付差滯候義
 出来仕候ハヽ拙者共何方迄も罷出急度申訳ヶ
 仕少も貴寺様江御苦難相掛ヶ申間敷候為後證
 連印一札差上申所仍而如件
                                      当所願人  磯右衛門○印
   文化九申年三月十八日  畠ヶ山村兄 忠八○印
                           親類    忠三郎○印
                           組合    伝右衛門○印
                     組頭    平兵衛○印
                           名主    勝右衛門○印
   同村
    金泉寺様

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2009年7月24日 (金)

差上申遷化届書之事 弘化三年(1846) 越畑・金泉寺文書 136

   差上申遷化届書之事
一武州比企郡別所村月窓寺祖舟長老
 当正月下旬より病気附医薬尽手
 候得共療治不相叶当三月十九日
 寅之下刻遷化仕候依之為御届ヶ
 一札如斯御座候以上
   弘化三午年三月日 
        武州比企郡日影村隣寺
             真光寺印
             国牛(花押)
        別所村月窓寺旦中惣代
             佐兵衛○印
  龍穏寺
   御役寮中

          越畑・金泉寺文書 136.pdf

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2009年7月23日 (木)

相定申永代証文之事 寛保三年(1743) 越畑・金泉寺文書 137

   相定申永代証文之事
山高又左衛門様御領分
  山三反拾歩       薬師山
右之山金子弐両壱分請取永代ニ相渡シ
申所実正也御年貢御上納被成貴寺様
苗分ニ可被成候於此山ニ脇より少茂構無御座候
為後日永代証文仍而如件
  寛保三年亥九日    越畑村
             山売主  兵右衛門○印
             証人与頭 三左衛門○印
             同    半兵衛○印
             与頭   仁兵衛○印
             名主   忠右衛門○印
    金泉寺和尚様
          良仙代

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2009年7月22日 (水)

相定申田地証文之事 享保十八年(1733) 越畑・金泉寺文書 138

 相定申田地証文之事
一子之御年貢ニ相詰リかわこ岩ニ而下々畑五畝歩
 之所金子壱分請取以由緒相譲申候上ハ
 御寺之苗分ニ被成御年貢諸役等掛物共ニ御上納
 被成永々御支配可被成候於此田地親子
 兄弟者不及申脇より少茂構無御座候為後日
 証文仍而如件
  享保十八年丑ノ三月
            越畑村
              地主 三右衛門○印
              証人 半左衛門○印
              同  七郎右衛門○印
              組頭 仁兵衛○印
              名主 五兵衛○印
  金泉寺様 良仙叟代

               越畑・金泉寺文書 138.pdf

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2009年7月21日 (火)

譲地証文之事 安永七年(1778) 越畑・金泉寺文書 139

   譲地証文之事
 山高十右衛門様御分
  一山三反拾歩       薬師山
一由緒御座候ニ付右之山相譲リ祝金
 拾両慥ニ受納仕然上者御年貢等迄
 貴寺様御勤メ被遊永々苗地可被成候
 為後日譲地証文仍如件
  安永七戌五月日
        越畑村
          地主 平右衛門○印
          証人 平七○印
          組頭 孫兵衛○印
          同  常右衛門○印
          名主 加兵衛○印
 同村
  金泉寺様

          越畑・金泉寺文書 139.pdf

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2009年7月20日 (月)

入置申一札之事 安政二年(1855) 越畑・金泉寺文書 140

  入置申一札之事
一今般宝薬寺恵精隠居候後席之儀ハ
 同州榛沢那谷村皎心寺隠居宗覚長老ヘ
 願之通住職被仰付則諸校割相改メ
 右宗覚長老江入院為仕候処尤も恵精
 病気ニ付万一已後恵精より同様申出候共各方江
 聊御苦難相掛ケ申間敷候為後日一札
 入置仍而如件
           同州多摩郡成木大蔵邨
             前長全寺 白道(花押)
  安政二卯年
      七月
        地元名主
        世話人 悟兵衛殿
        世話人 要助殿

(ウラ書)
 宝薬寺後住願ニ付宗覚長老引請人白道之書付
 世話人悟兵衛等江渡候書物

               越畑・金泉寺文書 140.pdf

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2009年7月19日 (日)

為取替議定之事 弘化四年(1847) 越畑・金泉寺文書 141

  為取替議定之事
一今般月窓寺本瑞より広正寺宜山江相掛申立候者
 月窓寺兼帯罷在候越畑村金泉寺後住之儀
 本瑞弟子梵龍後席仕度本寺広正寺江願立
 寺檀一同相談相整候ニ付隣寺宝薬寺恵山
 連印ニ而本寺広正寺江相談候所御聞済之上檀中
 惣代五兵衛外拾人罷出御請書差上御聞済ニ
 可相成之所其節本寺より梵龍江為報恩金可
 差出旨被申付其上点頭可仕旨被申渡候得ども
 梵龍儀者雲水同様之砌ニ御座候得者御請難相成候
 ニ付差縺無拠扱人立入種々手段仕後席取定
 度扱申入候得共相整兼候ニ付月窓寺本瑞より
 当惑之余品々難渋麻布龍隠寺役所江申立
 御吟味奉願候所右広正寺宜山御呼出之上双方江
 御利解被 仰聞奉恐入候依之出府居掛候扱人惣代
 宝薬寺霊芳越畑村船戸司平扱人ニ立入度旨
 御役僧様江申立候所御慈愛を以右書面御下相成候ニ付
 則扱人立入双方江篤与及掛合候所全双方行違より
 事発候故右之次第ニ至リ候儀ニ付憤リ合之儀者双方共
 扱人貰請一同帰村之上都而是迄通本来之式礼
 相互ニ親敷相守候筈取極一同聊無申分和融
 相整候上者後席願いたし候ハヽ其下願之通聞済遣シ
 被下候対談後日違変無之ため扱人連印為取替
 置申処仍如件
  弘化四未年四月
             武州比企郡別所村
               月窓寺
                 本瑞 印
             同州同郡広野村
               広正寺
                 宜山 印
             同州同郡志賀村
               宝城寺
             扱人  霊芳 印
             同州同郡越畑村
             扱人  船戸司平○印

               越畑・金泉寺文書 141.pdf

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2009年7月18日 (土)

差上申世寿法臘時代書之事 弘化四年(1847) 越畑・金泉寺文書 142

  差上申世寿法臘時代書之事
一拙僧儀ハ越中国射水郡高岡之産ニ御座候事
一文政五午年二月十二日武州比企郡越畑村金泉寺先住祖舟長老之
 剃髪受具仕候事
一文政七申年夏上州白井双林寺活山長老常恒会之席ニ出始仕候事
一弘化三午年冬同州旙羅郡下奈良村集福寺賢隆長老
 永世法事会之首座職相勤候事
一同暦四未年二月廿五日武州比企郡別所村月窓寺本瑞長老之
 室ニ嗣法了予仕候事
一同暦五月二十五日同州同郡当寺入院仕候事
一法臘弐拾六年
一世寿三拾壱年
一拙僧儀ハ勿論法類俗縁之内従 公儀并関御三刹蒙
 御咎候者壱人も無御座候事
 右之通少も相違無御座候以上
  弘化四丁未年五月日
                武州比企郡越畑村
                    金泉寺 印
                         梵龍書印
  御本山
   広正寺
     御役寮

                    越畑・金泉寺文書 142.pdf

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2009年7月17日 (金)

差上申一札之事 嘉永四年(1851) 越畑・金泉寺文書 145

  差上申一札之事
一此度私伯父嘉右衛門義無家住困窮
 者ニ而貴寺様江参リ御世話ニ預リ居候処
 此節大病ニ而若シ薬用不相叶万一
 病死仕候ハヽ但シ死骸之義者我等
 引取可申義ニ御座候得共右之趣ニ而
 難渋仕候義ニ付貴寺様以御慈悲
 御引請焼香并埋地迄御貸シ被下
 候ハヽ偏ニ難有仕合奉存候若シ又後日
 脇より故障申者有之候ハヽ私共何方
 迄茂罷出急度申訳ケ仕貴寺様江
 少茂御苦難相掛申間敷候為後日
 差上申一札依而如件
  嘉永四亥五月日
        武州榛沢郡
           上野村 当人 仙五郎印
               親類 丈八印
 同州比企郡
  越畑村 金泉寺様

          越畑・金泉寺文書 145.pdf

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2009年7月16日 (木)

月牌茶湯施餓鬼等寄附金貸附帳 慶応元年(1865) 越畑・金泉寺文書 146

  慶応元丑年八月
月牌
茶湯  寄附金貸附帳
施餓鬼等
          当寺
          世話人

  借用申金子証文之事
一金壱両也 船戸悟兵衛殿被相納候月牌料
一金壱両也 市川佐平次殿被相納候茶湯料
 右者我等相続要用ニ差支貴寺様江書面之通
 寄附被致候金子達而御無心申入羽太様御文字前畑ニ而中畑八畝歩之処書入ニ
 仕書面之金子弐両確借用請取申処実正ニ御座候尤貴寺様御入用之節ハ三拾両
 ニ付壱ヶ月金壱分之利足を加へ元利急度返済可仕候若其節差支候ハヽ加判人
 方江書入之地所引受早速埒明良聊御苦難
 相掛申間敷候依之為後日借用証文入置申処如件
  慶応元丑年八月
                      越畑村 借主 五郎右衛門○印
                          証人 吉左衛門○印
                          名主 善兵衛○印
  金泉寺様
   御世話人中

  借用申金子証文之事
一金五両也
 右者相続要用ニ差支妙輪庵主寄附相納
 被申候盆高夜燈油料貴寺様江達而御無心
 申入山高様御分字前畑ニ而上畑七畝廿歩之処無入ニ
 仕書面之金子確借用受取申処実正ニ御座候
 尤御入用之節ハ何時成共三拾両ニ附壱ケ月金壱分之
 利足を加へ元利急度返済可仕候若其節金子出来
 兼候ハヽ引当之地所加判人方江引受無相違調達仕聊
 御苦難懸申間敷為後日借用証文仍而如件
  慶応元丑年八月
                借主 善左衛門○印
                証人 清五郎○印
                組頭 定次郎○印
  金泉寺様
   御世話人中

  借用申金子証文之事
一金弐両也 船戸悟兵衛殿より被相納候月牌料
一金壱両也 永嶋儀兵衛より被相納候茶湯料
 右ハ相続要用ニ差支貴寺様江書面通寄附被致候
 金子達而御無心申入我等持分酒井様御分字前田ニ而
 中田八畝拾五歩書入ニ仕右金確ニ請取借用申所実正ニ
 御座候尤も貴寺様御入用之節三拾両壱分之利足加へ
 元利共急度御返進可仕候若又其節差支候ハヽ加判人
 方ニ而書入之地所引請早速弁金聊御苦難相懸申間舗候為後日
 借用証文依而如件
  慶応三卯年八月日
                越畑村 借主 嘉右衛門○印
                    証人 喜右衛門○印
                    組頭 兼次郎○印
  金泉寺様
   世話人御中

 慶応四辰年八月
一金三両
 永代施餓鬼料自奉納致借用       借主 角太郎○印
 酒井様御分              証人 直蔵○印
一下畑六畝歩   字向山        名主 悟兵衛○印

 慶応四辰年八月
一金壱両 喜代松茶湯料借用       借主 直蔵○印
 酒井様御分              証人 角太郎○印
一下田四畝五歩  字萑内        名主 悟兵衛○印

  明治二乙年八月
一金壱両也 茂左衛門より茶湯料借用   借主 亀次郎○印
 元酒井様御方             証人 半左衛門
一下畑弐畝廿歩             名主 悟兵衛

  明治三庚午年八月
一金壱両也 青木平次郎寄附
      茶湯料借用         借主 万右衛門○印
 酒井上知分              証人 角太郎○印
一下田弐畝歩      字本四谷ニ而  名主 悟兵衛○印

 明治三庚午年八月
一金壱両也 自寄附仕候茶湯料
      借用仕候          借人 三右衛門○印
 酒井様上知分             証人 代吉○印
一下畑弐畝歩  字前畑ニ而       名主 悟兵衛○印

 同
一金三両也 廿年九月廿三日改正     借主 代吉○印
      青木三右衛門申候      証人 三右衛門○印
      永代施餓鬼料借用仕候    名主 悟兵衛○印
 酒井上知分
一下畑六畝歩  字下くし引ニ而

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2009年7月15日 (水)

寄附金請取一札 明治四年(1871) 越畑・金泉寺文書 149

  寄附金請取一札
一金三両弐朱也 大般若経五十巻代
        但し壱巻ニ付金一朱宛々
 右ハ前書之通リ拙寺ヘ御銘々様方御寄
 進被下候金御世話人御菩提所
 方丈前より確ニ受取忝寺納仕候
 為念証券一札依而如件
 明治四辛未年
                古里村
                 重輪寺 印
 当三月より同七月迄ニ皆済檀役世話人
  越畑村
   御世話人
 金泉寺様
 施主各々様方へ

          越畑・金泉寺文書 149.pdf

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2009年7月14日 (火)

議定之事 明治三年(1870) 越畑・金泉寺文書 150

  議定之事
                青木代吉
                市川半左衛門
                船戸善兵衛
                船戸悟兵衛
              左
一越畑村金泉寺
              右
                強瀬
                 両家一年交代
                強瀬
                市川佐平次
                強瀬文次郎
右者当村金泉寺施餓鬼席之儀ニ付去ル
文久三亥年中船戸善兵衛より強瀬吉兵衛同苗
重左衛門江掛合御座候処同年同寺無住中ニも
有之懸合不行届其節兼帯之上横田村
輪禅寺方丈任御差図別席罷在然ル処翌
子年市川半左衛門不斗滞之席江相進ミ候ニ付
右一条江相加り差縺中者住職人任申聞ニ右四人共
引続内席仕居候得共難捨置儀ニ付当住方丈
おいても悉配慮いたし并悟兵衛義ハ素より気之
毒ニ存立入候儀ニ而追々掛合之上先規ニ基席を
左右ニ相立示談行届候趣意ハ善兵衛一代
相立候上ハ同人方半左衛門一年交代且吉兵衛重左衛門ハ
是より一年交代ニ而左座上席之船戸悟兵衛水向
焼香相済候ハヾ次ニ右座上席之もの其次ニ
左坐次席之もの与其余ハ都而右ニ准ジ席
順を不違隔番等之ものも別而今般之取究ヲ
相守可申筈一同納得孰も無申分書面之通
示談行届候上ハ子々孫々ニ至全不可有違乱
依之為後日連印如件

 明治三庚午年
    七月十三日
                越畑村
                  強瀬文次郎○印
                  青木代吉○印
                  市川佐平次○印
                  市川半左衛門○印
                  強瀬吉兵衛○印
                  船戸善兵衛○印
                  強瀬重左衛門○印
                  船戸悟兵衛○印
                  金泉寺印

               越畑・金泉寺文書 150.pdf

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2009年7月13日 (月)

馬道相定申證文事 享保十九年(1734) 越畑・新井ハツエ家文書 2

  馬道相定申證文事
一川畑田之内少々相渡シ
 右御年貢代 三百文
  道代   三百文
合六百文請取申候然上者自今
以後少も相違無御座候仍而如件
 享保十九年 寅ノ四月日
        道主
         仁兵衛
         重右衛門
    助右衛門殿
    清左衛門殿
    武右衛門殿
    半右衛門殿
    義右衛門殿
    重右衛門殿
    道心房

     越畑・新井ハツエ家文書 2.pdf

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田畑名寄覚帳写 慶応二年(1866) 越畑・新井ハツエ家文書 3

   寛保三年
酒井様       武蔵國比企郡
 田畑名寄覚帳      越畑村
   亥正月日        荒井辡之輔

  慶応二年寅正月元日是写之
        弁之助

元禄十一年寅八月写帳

此帳面ハ質地ハ不及申兄弟
分地或ハ永代讓地成とも書添
仕間敷候尤左様之節ハ切紙
札ヲ以可仕候

利右衛門分おくり
下五畝廿五歩  利右衛門分喜兵衛成
下々七畝十歩   〃   〃

 畑方名寄覚(抄)
        勘右衛門
  合五反弐畝廿歩
        忠右衛門
  合八反壱畝六歩
        七右衛門
  合三反四畝八歩
        金三郎
  合六畝歩
        仁右衛門
  合四反六畝廿六歩
        六右衛門
  合弐反六畝九歩
        七郎兵衛
  合五反四畝七歩
        儀右衛門
  合五反四畝歩
        半兵衛
  合九畝十四歩
        助右衛門
  合三畝十一歩
        宮分
  合五反壱畝十三歩
        惣兵衛
  合三反八畝廿五歩
        守分
  合三反三畝十七歩
        七郎右衛門
  合六反壱畝七歩
        兵右衛門
  合五反四畝十四歩
        半左衛門
  合弐畝一歩
        平八郎
        孫右衛門
  合壱反五畝十八歩
        平左衛門
  合七反四畝廿歩
        新左衛門
  合四反壱畝一歩
        儀左衛門
  合四反二十八歩
        伊右衛門
  合三反七畝廿八歩
        七兵衛
  合五反七畝廿九歩
        吉右衛門
  合五反七畝十二歩
        薬師
  合四反九畝十一歩
        
        金右衛門
  合三反二畝廿一歩
        甚右衛門
  合三反三畝廿九歩
        太右衛門
  合弐反三畝廿歩
        小右衛門
  合七畝廿二歩
        忠兵衛
  合七反弐畝四歩
        九兵衛
  合弐反五畝三歩
        重兵衛
  合弐反壱畝一歩
        五兵衛
  合三町四反六畝廿四歩
        作左衛門
        喜兵衛
  合壱反七歩
        助左衛門
  合五反弐畝壱歩
        多郎右衛門
        金泉寺
        多左衛門
  合四反五畝弐拾弐歩
        治郎兵衛
  合三反六畝十歩
        藤右衛門
  合三反三畝三歩
        五右衛門
  合弐反八畝十一歩
        安兵衛
  合弐反八歩
        仁兵衛
  合九反六畝十八歩
        金左衛門
  合七反四畝十歩
        善六
  合壱反六畝廿三歩
        多郎兵衛
  合四反七畝廿八歩
        八左衛門
  合三反壱廿四歩
        小兵衛
  合弐反五畝十一歩
        与兵衛
  合三反廿六歩
       
        久右衛門
  合弐反九畝廿五歩
        重右衛門
  合弐反八畝廿七歩
        権左衛門
  合壱反五畝廿六歩
        金重郎
  合壱反五畝十二歩
        伊左衛門
  合弐反弐畝壱歩
        喜右衛門
  合壱反五畝歩
        庄兵衛
  合四反五畝十三歩
        磯右衛門
  合七反廿四歩
        治郎兵衛
  合弐反三畝十二歩
        金右衛門
  合弐反壱畝廿五歩
        勘兵衛
  合五畝廿七歩
        権右衛門
  合四反三畝五歩
        小左衛門
  合弐反三畝歩
        重兵衛
  合弐反七畝廿七歩
        与兵次
  合弐反五畝三歩
        治郎右衛門
  合四反六畝一歩
        平左衛門
  合三反八畝十四歩
        五郎左衛門
        武左衛門
  合壱反七畝廿九歩
        清右衛門
        喜兵衛
        満右衛門
        利右衛門
  合壱畝八畝七歩
        久兵衛
  合弐反十五歩
        新右衛門
  合壱反弐畝十一歩
        長左衛門
  合三反三畝廿九歩
        清左衛門
  合六畝十一歩
 畑〆
 弐拾五町五反六畝弐拾九歩

  田方名寄帳(抄)
        忠右衛門
ねがらみ 上九畝八歩
道下   上六畝十七歩
 〃   上四畝十五歩
  合 弐反十歩
堤下   中壱反四畝八歩
八王子  中九畝歩
 〃   中壱反四畝四歩
  合 三反七畝十二歩
川端   下壱畝十三歩
 〃   下四歩
     下十二歩
 〃   下六歩
     下十歩
 〃   下二セ四歩
広河   下壱反三畝六歩
高倉前  下五畝廿歩
  合 弐反弐畝十一歩
         勘右衛門
小栗前田 中合九畝廿九歩
         新右衛門
前田   上壱反歩
     上壱反十七歩
  合 弐反十七歩
         六右衛門
大木谷ッ 上三畝十九歩
 〃   上壱反弐畝廿一歩
  合 壱反六畝十一歩
         宮分
廣河   下合三反七畝廿歩
         薬師
前    上合六畝十七歩
〃    中合八畝十四歩
三反町  下弐反壱畝四歩
堂ノ入  下壱畝三歩
前田   下七畝廿九歩
  合 三反六歩
         満右衛門
本田谷  下合弐反四歩
         治兵衛
背谷   上合六畝十七歩
宮前   中合弐畝七歩
 〃   下七畝十二歩
十三間  下十六歩
  合 七畝廿八歩
         權左衛門
宮前   下合八畝五歩
         半右衛門
広河   上三畝十七歩
広河   上八畝歩
  合 壱反壱畝十七歩
         利左衛門
広河   上三畝十五歩
 〃   上八畝二歩
沼下   上壱畝二歩
広河   中九畝五歩
前田   中拾四歩
  合 九畝十九歩
宮前   下六畝廿歩
広河   下四畝歩
  合 壱反廿歩
         惣兵衛
深谷   上壱反五畝廿八歩
大木谷  上壱反二畝廿六歩
  合 弐反八畝廿六歩
広河   中五畝十七歩
 〃   中壱反二畝二十七歩
  合 壱反八畝八歩
深谷   下合六畝廿歩
         仁兵衛
さ賀   上壱反弐畝歩
 〃   上壱反十一歩
  合 弐反弐畝十一歩
沼下   中七畝十一歩
 〃   中六畝十五歩
  合 壱反三畝廿七歩
川端   下壱反六畝十歩
沼下   下八畝廿一歩
  合 弐反五畝壱歩
         甚右衛門
広河   下合九畝七歩
         七郎右衛門
十三間  上壱反弐畝廿一歩
 〃   上八畝廿一歩
  合 弐反廿一歩
和田谷  中七畝七歩
川越谷  下七畝廿八歩
岩はな  下壱反二畝十八歩
宮前   下壱反二畝六歩
広河   下壱反壱畝廿三歩
 〃   下四畝十七歩
  合 四反八畝廿三歩
         兵右衛門
十三間  上合八畝廿一歩
広河   中合壱反五畝五歩
和田谷  下壱反弐畝十二歩
宮前   下壱反弐畝壱歩
  合 弐反四畝十一歩
         半兵衛
宮前   中四畝廿一歩
四反田  中壱畝廿一歩
嶋崎   中壱反弐畝廿一歩
舟久保  中五畝廿六歩
  合 弐反三畝八歩
         七郎兵衛
広河   中合九畝六歩
宮前   下壱反二畝七歩
大木谷  下五畝十五歩
  合 壱反六畝十二歩
         磯右衛門
大木谷  上三畝十四歩
広河   中九畝十三歩
鍋谷   中壱反三畝六歩
  合 三反三畝八歩
鍋谷   下四畝四歩
広河   下八畝廿四歩
閑沢   下六畝十歩
  合 壱反九畝八歩
         仁右衛門
大木谷  上六畝三歩
広河   中壱反五畝廿二歩
大木谷  中六畝三歩
  合 弐反壱畝廿五歩
宮田   下壱反壱畝五歩
閑沢   下六畝十九歩
  合 壱反七畝廿九歩
         忠兵衛
深谷   上九畝四歩
四反田  上壱反四歩
深谷   上三畝二歩
  合 弐反六畝六歩
十三間  下壱反弐畝歩
 〃   下九畝十歩
宮前   下六畝歩
 〃   下弐畝六歩
 〃   下壱反弐畝四分
深谷   下六畝四歩
広河   下七畝十一歩
   合 五反五畝五歩
         太右衛門
深谷   上壱反三畝十歩
宮前   下合六畝歩
         与左衛門
下ヶ谷戸
松木下  中合壱反壱畝六歩
 七兵衛
十三間  上合壱畝二歩
前田   中八畝十五歩
 〃   中壱反壱畝十三歩
  合 壱反九畝廿八歩
 〃   下三畝六歩
 〃   下五畝廿一歩
 〃   下壱畝六歩
和田谷  下壱反歩
  合 弐反九歩
         吉右衛門
堂ノ入  中合九畝五歩
前田   下四歩
〃    下九畝四歩
和田谷  下壱反壱畝五歩
  合 弐反九畝十八歩
         藤右衛門
後谷山ノ神 上四畝三歩
宮前   中六畝十三歩
十三間  中壱反四畝十歩
  合 弐反廿六歩
十三間  下九畝廿一歩
         五右衛門
背谷   上合七畝歩
宮前   中合五畝歩
十三間  下四畝四歩
 〃   下弐十六歩
  合 五畝歩
         孫右衛門
広河   上九畝九歩半
舟久保  下六畝廿歩
         太左衛門
背谷ッ  上六畝五歩
道下   中壱反五畝五歩
宮前   中壱畝九歩
  合  弐反弐畝十九歩
十三間  下壱反廿五歩
 〃上  下壱反三畝廿九歩
  合 弐反四畝廿三歩
         助左衛門
十三間  下八畝廿三歩
十三間  下九畝廿六歩
松沢   下壱畝三歩
畑こ谷  下弐畝三歩
 〃   下壱反四畝十四歩
  合 三反八畝十四歩
         太郎兵衛
道下   上壱反一畝廿九歩
畑こ谷  中九畝六歩
     中六畝十二歩
  合 弐反七畝十六歩
十三間  下九畝十二歩
枝谷   下九畝七歩
  合 壱反八畝十九歩
         八左衛門
三反町  中壱反五畝九歩
沼上   下合三畝歩
         小兵衛
畑こ谷  上合八畝三歩
  〃  中合五畝十歩
  〃  下三畝廿九歩
十三間  下壱反十七歩
  合 壱反四畝十九歩
         与兵衛
十三間  下九畝十三歩
畑こ谷  下弐畝三歩
  合 壱反一畝十六歩
         九兵衛
宮前   上六畝三歩
     中壱反壱畝歩
     中三畝九歩
  合 弐反十六歩
十三間  下壱反廿四歩
宮前   下三畝廿一歩
 〃   下壱反六歩
  合 弐反四畝廿一歩
         六兵衛
十三間  上合七畝廿五歩
         金左衛門
深谷ッ  上合壱反六畝十七歩
広河   中五畝弐拾七歩
はたこ谷 下壱反六畝廿七歩
         久左衛門
深谷   上三畝八歩
         武左衛門
十三間  上九畝四歩
         安兵衛
和田谷  下六畝壱歩
         利右衛門
閑沢   下四畝廿二歩
         清右衛門
孫八   上三畝十五歩
         重兵衛
深谷   下九畝四歩
 〃   下拾二歩
  合 九畝十六歩
         平右衛門
まけし山 中壱反二畝二歩
岩崎   中六畝二歩
  合 壱反八畝四歩
和田谷  下五畝十一歩
 〃   下六畝廿五歩
 〃   下壱反壱畝廿歩
鍋(ママ)谷   下四畝五歩
  合 弐反八畝二歩
         金右衛門
十三間  下九畝廿三歩
鍋谷   下壱畝十歩
和田谷  下七畝廿五歩
 〃   下七畝廿五歩
  合 弐反六畝十三歩
         儀左衛門
前田   弐畝八歩
 〃   上十一歩
 〃   上壱反三畝廿六歩
  合 壱反六畝十一歩
十三間  中六畝九歩
まけし山 下七畝廿六歩
         半左衛門
まけし山 下七畝廿六歩
和田谷  下三畝廿五歩
  合 壱反壱畝廿一歩
         平八
和田谷  下拾(ママ)一歩
         伊右衛門
前田   上五畝歩
ぬかり  中六畝八歩
柳原   中壱反拾二歩
  合 壱反八畝十二歩
まけし山 下三畝歩
柳原   下壱反壱畝四分
  合 壱反四畝四歩
         九左衛門
曲(まけ)師(し)山  下七畝廿五歩
 〃   下三畝四歩
和田谷  下壱反拾弐歩
  合 弐反壱畝壱十一歩
         五兵衛
地蔵面(ママ)   上七畝十八歩
前田   上弐畝七歩
十三間  上四畝七歩
都〃谷  上八畝三歩
  合 弐反弐畝五歩
三反町  中壱反九畝弐歩
 〃   中弐反三歩
 〃   中壱反一畝十三歩
 〃   中六畝二歩
三ッ又  中壱反五畝三歩
和田谷  〃壱反三畝廿七歩
柳原   〃壱反三畝廿二歩
 〃   〃壱反十八歩
 〃   〃壱反十二歩
  合 壱町弐反十五歩
帆(ほ)木(きり)谷  下壱反八畝一歩
ねからみ 下壱反弐畝歩
曲師山  下壱反弐十一歩
 〃   〃壱反十五歩
 〃   〃壱反廿一歩
 〃   〃壱反四畝一歩
吉田   〃弐畝歩
松沢   〃五畝廿一歩
十三間  〃壱反三畝十一歩
  合 九反八畝一歩

上田高三町六反三畝八歩半
     此訳壱畝十七歩 堀代
 残而寄合三町六反壱畝廿一歩
中田高五町四反十三歩半
     此訳七畝十四歩 堀ト畑成
 残而高五町三反弐畝十六歩半
下田高八町四反三畝五歩
     此訳弐反四畝廿歩 田成畑
       五畝十四歩  荒地
       壱反三畝七歩半 堀代永引
 残寄合五町八反弐拾九歩
  外より内 五畝廿歩 田成畑引
 残七町九反四畝十三歩半
       五畝一歩半□
         伊左衛門
屋敷前  中壱反三畝廿二歩
久保田  中九畝九歩
岩崎   〃六畝十七歩
  合 弐反九畝十九歩
沼(ママ)入   下八畝十七歩半
屋敷前  〃壱反三畝廿九歩
川端   〃六畝十二歩
  合 弐反七畝十一歩半
         喜右衛門
道添   中壱反七畝十二歩
まへた  〃九畝十一歩
前田   中壱反十六歩
  合 三反七畝九歩
川端   下弐反壱畝十一歩
 〃   〃弐畝二歩
前田   〃八畝弐十一歩
  合 三反二畝四歩
         庄兵衛
川端   下壱反弐畝歩
沼下   〃六畝歩
  合 壱反八畝歩
         新蔵
川端   下六畝歩
沼下   〃壱畝廿二歩
  合 七畝廿二歩
         忠兵衛
沼下   中三畝八歩
まへた  中壱反三畝一歩
  合 壱反六畝九歩
         重兵衛
道添   下壱反弐畝廿八歩
三詣り  下壱反歩
  合 二反二畝廿九歩
         与平司
前田   中九畝廿二歩
     〃六畝十一歩
  合 壱反六畝三歩
沼下   下壱反壱畝十七歩
関場   〃八畝十二歩
     〃五畝三歩
前田   〃弐畝廿六歩
  合 弐反七畝廿九歩
         吉左衛門
前田   中合弐畝拾歩半
     下壱反壱畝八歩
関場   〃壱反弐畝歩
  合 弐反七畝七歩半
         小右衛門
前田  中合弐畝五歩
三詣り  下六畝歩
岩崎中町 中合弐反壱畝十八歩
 〃   下壱反六畝十歩
関場   〃壱反弐畝十三歩
  合 弐反八畝十三歩
         權右衛門
前田   中四畝歩
     〃九畝歩
  合 壱反三畝歩
 〃   下壱反九歩
         小右衛門
三詣り  中合七畝廿二歩
         平左衛門
 〃   中合七畝廿三歩
落水   下三畝歩
中町   下二畝四歩
川はた  下五畝弐歩
     〃四畝六歩
かちみ  下壱反四畝廿歩
  合 弐反九畝弐歩
         磯右衛門
川端岡げ 下七畝十五歩
前田岡げ 下二畝三歩
前田   下壱反壱畝廿六歩
  合 弐反壱畝十四歩半
         金右衛門
前田   下八畝十歩
         治郎兵衛
〃    下合壱畝二歩
         惣兵衛
つらとの 〆下九畝廿七歩
         九右衛門
つらとの 下八畝歩
 〃   〃四畝廿七歩
 〃   〃弐畝壱歩
  合 壱反四畝廿八歩
 
 中田高壱町五反四畝十六歩
      此訳 壱畝十八歩 畑成
  残而寄合壱町五反弐畝廿八歩半
 下田高三町四反十八歩
      此訳 弐反九畝十八歩 沼荒田成とも
  残而寄合三町壱反壱畝四歩
 田惣〆
 弐拾壱町五反弐畝弐歩
 畑〆
 弐拾五町五反六畝弐十九歩
 田畑合
 〆四拾七町九畝壱歩
 
 寛保三年亥正月改
    越畑村
     名主忠右衛門
      〃治兵衛
     与頭仁兵衛
      〃与平次
      〃勘右衛門

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乍恐以書付奉願上候 文政二年(1819) 越畑・新井ハツエ家文書 5

  乍恐以書付奉願上候
武州比企郡越畑村御三給様村役人惣代
名主平次郎奉申上候先達而森河金右衛門様
御知行所隣村杉山村役人より私シ方用水堀之
義ニ付願出候趣届有之銘々御地頭様御性
名書取候間其趣御訴申上候処
森川金右衛門様ヘ御掛合之上右用水堀
往還道添ニ有之杉山村江障ニ相成候ハヾ早々
可取払旨被仰付奉畏帰村上右場所引替
村内江仕立候趣杉山村役人江懸合候処在
村役人より御地頭所様森川金右衛門様御伺申上
候得共往還道添江除キ越畑村地内江引
右堀仕立候上ハ少茂故障無之段被仰
聞候間当村者共聊申分無之勝手次
第ニ其村地内江堀仕立可申旨杉山村役人より
一同申付私シ共村方之者共至極得心之上
双方無申分熟談内済仕候前書熟
談之通リ御聞済被成下置候上双方御田地
無差障相続候偏ニ御慈悲難有仕合
奉存候以上
            比企郡越畑村
             御三給村役人惣代
            酒井但馬守知行所
                 名主 平兵衛
 文政二卯年二月
   酒井但馬守様
   羽太求馬様
   山高芳次郎様
    御三給
      御役人中様

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添書證文之事 天保八年(1837) 越畑・新井ハツエ家文書 8

  添書證文之事
森川様
   御分 畑七畝弐歩 字笠張
一当酉御年貢差詰リ我等持分之
地所貴殿方江質物ニ相渡し金子
四両三分慥ニ借用申候處実正也
然上ハ御年貢諸役等御勤被成候而
御手作可被成候此地ニ付先判書入等
脇より少茂構無御座候若シ後日ニ滯義
出来仕候ハヾ加判之者急度立合埒明
可申候右之本金返済申候ハバ何時成共
地所無相違御返し可給爲後日添書證文
仍而如件      
 天保八年
  酉三月 日
          杉山村
            地主 源右衛門
            證人 安五郎
越畠村
 買主 万蔵殿

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質地證文之事 天保九年(1838) 越畑・新井ハツエ家文書 9

   質地證文之事
 羽太様御分
  下田八畝歩       字なへ谷川端
一去酉ノ御年貢ニ相詰リ右之田貴殿方江質地ニ
 相渡し金子五両三分弐朱慥ニ受取借用申候所
 実正ニ御座候然上者御年貢諸役等之儀者
 貴殿方ニ而御勤メ御手作可被成と於此田先判書入
 等ニ茂不仕脇より構無御座候但し年季之儀者
 金子有合ニ相定メ申候右之本金五両三分弐朱
 返金仕候ハヾ地所無相違御返し可被下候爲後日質地
 證文依而如件
  天保九年戌二月日
                 越畑村
                   地主
                    左兵衛
                   證人
                    平右衛門
                   名主 
                    周藏
         同村
          万藏殿

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石尊講中宿覚帳 天保十一年(1840) 越畑・新井ハツエ家文書 12

      天保拾一歳
    庚
    石尊講中宿覚帳
    子六月廿五日
           越畑村
              下郷
  一年々代参壱人ツヽ籤当リニ而
  一講銭壱人前ニ付百文ツヽ差出さす
  一弐百文ツヽ御燈明料として宿江
  一弐拾四文ツヽ御袚料して
   但し弐百文内ニ而   正法屋江
   右之通ニ取極メ置候
           子年宿
    安政四年巳六月廿五日宿
           巳年代参者 金蔵

           寅年宿
           卯年代参 嘉兵衛

           卯年宿
           辰年代参 孫右衛門

           辰年宿  宇右衛門

           巳年宿
           亥年代参 七兵衛
           
           午年宿
           酉年代参 源左衛門

           未年宿
           同年代参 富五郎

           戌年宿
           子年代参 源兵衛

           申年宿  芳松

           申年代参
           酉年宿  要助

           丑年代参 丈右衛門

           寅年代参 
           亥年宿  仙蔵

           ■年宿
           寅年代参 文右衛門

           戌年代参
           寅年宿  武兵衛

           巳年代参
           丑年宿  利八

           丑年宿
           卯年代参 菊次郎

           卯年宿
           丑年代参 万蔵

           辰年宿
           辰年代参 浅右衛門
                半右衛門

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書添申證文之事 天保十四年(1843) 越畑・新井ハツエ家文書 13

  書添申證文之事
山高様御分
一上畑四畝五歩
 右畑古證文共質物ニ相渡候金子
 九両三分借用申候處実正也然ル上ハ
 御年貢御役等貴殿方ニ而御勤メ
 御手作可被下候今又此畑ニ付先判
 書入等脇纏難澁申者無御座候
 爲後日仍而如件
  天保十四年
   卯五月日
          越畑村
           地主
            浅右衛門
    同村
     万蔵殿

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覚 安政二年(1855) 越畑・新井ハツエ家文書 22

   覚
一金五両也     趣意金
一金拾五両也    春山相続金
一金拾両也     請納金
 右者趣意金并書面ニ通春山相続
 金縁女受納金合而金三拾両慥受取申候以上
  安政二卯年四月日  越畑村
              当人
     同村        嘉兵衛
       万蔵殿 

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東方朔秘伝置文 安政六年(1859) 越畑・新井ハツエ家文書 23

   東方朔秘伝置文
○毎年運気吉凶を知る事
○月輪を考て吉凶を知る事
○日輪を考へて吉凶を知る事
○星を考て吉凶を知る事
○雲の気を見て年の吉凶を知る事
年中運気日和考 ○虹をうかがひて吉凶を知る事

  東方朔(とうほうさく)秘伝置文
○電光を見て風雨を考知る事
○煙の気を見て吉凶を知る事
○雲気を見て雨風を考知る事
○四季の気を見て吉凶を知る事
○雨降り出しによりふり晴を知る事
○四季の気を見て病人を知る事
○毎月定りて風雨明ふる日の事
○五音の気を考へ吉凶を知る事

東方朔秘伝置文の序 ○印
凡人倫の大事ハ農家の努にありよく天地の
気運に達し風雨曇晴を察して稼穡(かしょく)を
為(なす)ときは百穀登りて万民快楽(けらく)す然り
といへども悉く天文に通ぜざればこれを
察する事能(あた)はずこゝに東方朔(とうほうさく)は漢の武帝の
侍臣にして歳星の化身也といふ後世を避て無為(むい)の
間に遊ぶ曽(かつ)て天文地理に明にして万世の吉凶を知る
故に此一巻を遺(のこす)をもて人民の利益少からす最(もっとも)世
に伝る事久し間(このごろ)予遇(たまたま)この原本を得て謹で梓(あずさ)に
鏤(ちりば)め世に公にして稼穡の過(あやまち)なからんことを
                         欲する而巳(のみ)
                             岩山道人誌

東方朔秘伝置文
   巻中目録
 第一六十甲子(かつし)吉凶の事
 第二日輪を候(うかがい)て吉凶を知事
 第三月輪を候て吉凶を知事
 第四星を候て吉凶を知事
 第五雲気を見て年の吉凶を知事
 第六虹を候て吉凶知事
 第七電光(いなひかり)を見て雨風を候知事
 第八雲気を見て雨風を候事
 第九雨降出る時により降晴るを知事
 第十毎月定て風雨吹降日の事
 第十一煙気を見て吉凶知事
 第十二四季の気を見て吉凶知事
    附火気病気知事
 第十三軍中に雲煙の気を見て吉凶知事
 第十四五音の気候吉凶知事
    惣目録終

 年中運気日和考
    六十甲子吉凶之事
▲甲子の年ハ弐月三日水あり四月五月沢水有六月七月日旱(ひでり)
 八月雨ふり雷なる九月に風吹田畑大によし麦よし
 蚕よし盗人多し火事有つゝしむべし万物みのり
 ゆたかなる年なり
▲乙丑の年ハ春風あり三月牛馬死す万民飢五月八
 月水あり麻糸よし五穀よし八月病多くはやる
 又冬の気より大によしまた冬に至て大によし十二月
 大に寒ずる
▲丙寅の年ハ水かハく田畑よし蚕よし三月四月雨あり
 四月五月病あり六月七月雨風あり秋早く寒ずる也
 十月盗人あり口舌事多し又春夏熱病はやる
 十一月十二月大に寒ずる
▲丁卯の年ハ五穀よし春疫病はやる正月三月水有
 四月病はやる五月六月水あり七月にかぜあり
 蚕よし冬あたゝか也万物たくさんにある年なり
▲戊辰の年ハ麦大豆(まめ)小豆あさいと綿よし田畑半吉蚕も
 半吉春疫病はやる四月五月六月大水あり七
 月八月大風あり九月十月雨風あり十二月寒ずる
 盗人多し
▲己巳の年ハ正月五月雨あり麦凶(わろ)し七月八月水あり
 又上田ハ悪し下田ハよし八月に大風あり万民ふねに
 のり多く死すつゝしむべしかいこハよし冬の気
 あたゝかなりと知るべし
▲庚午の年ハ春寒ずる五穀悪し蚕半吉三月四
 月雨あり五月六月大水あり又大に熱疫病は
 やる人多く死す馬牛多く死す七月八月雨あり
 又雷多し九月十月草木よし十一月十二月大に
 寒するとしるべし
▲辛未の年ハ田畑よし大豆小豆よし蚕よしふけ田麦
 半吉春風あり三月四月疫病はやる五月六月雷
 雨あり七月に水あり八月あたゝかなり十月水あり冬の
 気より寒するなり
▲壬申の年ハ五穀よし大豆悪し春病事はやる二
 月水あり三月四月雨ふりて水多し六月大ひに日
 旱草木かるゝ世上に食物多しとしるべし
▲癸酉の年ハ春水ありて氷る馬牛わづらふ三月四
 月大にあたゝかなり六月水あり七月風少し吹て水
 あり糸綿なき年なり麦によし八月十月はやく
 寒ずる十一月十二月に寒風たびく吹也
▲甲戌の年ハ二月三月水あり風熱の病はやると知る
 べし四月五月水あり七月八月雨風あり十月十二
 月寒ずる五穀ハよし上田下田よしかいこ判吉塩
 すくなき年としるべし
▲乙亥の年ハ二月三月水あり風霧度々吹ふるべし
 五月六月日旱なり七月八月雨あり九月十月
 水あり冬気あたゝかなり五穀よし盗人多し
 商売人他行多く死すつゝしむべし
▲丙子の年ハ大に寒する時々雨風あり二月水あり
 四月五月水あり七月沢水八月九月あたゝかにして
 病事はやる十一月十二月霜多し麦よし蚕よし
 田畑よし冬気に入ほど万事よし
▲丁丑の年ハ二月大風あり三月雨あり牛馬わづらい
 多く死す四月五月疫病はやる六月七月雨ふり雷
 なる八月水あり麻糸また胡麻るい多し冬の気
 に至りて寒する水大に氷る
▲戊寅の年ハ前のとし冬気より春にいたりて熱病
 はやる三月雨四月日旱する五月六月病事はやる
 七月八月大風吹九月雨あり十月はやく寒ずる
 盗人多し十二月風あり五穀よし茶よし
 麦わろし
▲己卯の年ハ二月三月雨風あり四月病事あり五月
 六月水あり七月風吹く八月寒じて雨あり草木を
 そこなふ九月十月雨あり十一月十二月あたゝかなり五
 穀よしかひこよし
▲庚辰の年ハ二月三月疫病はやる四月五月大水あり
 六月寒じて氷ふる水あり七月八月雨あり風
 あり九月十月大風あり熱病はやる十一月十二月雪
 多し大豆小豆麦よしあさいとわたのるいよし田畑
 半吉蚕よし五穀吉盗人多しとしるべし
▲辛巳の年ハ二月三月雨あり四月五月寒じて雨度々
 ふる六月大に熱す七月八月水あり又大風は九月十
 月雨あり十一月十二月あたゝかなり麦わろし上田凶
 下田よしかいこよし
▲壬午の年ハ二月寒して水あり三月日旱四月五月雨有
 水あり六月大に熱す風疫病人死す七月八月雨ふる
 九月十月万物よし十一月十二月大に寒するかいこ半吉
 五穀半吉
▲癸未の年ハ万物みのりよし二月に風あり三月四月病事
 はやる五月六月雨ふり雷なり水多し七月八月日旱
 する九月十月湿風あり十一月十二月大にかんする田畑
 よし大豆小豆おほしかいこよし麦よし
▲甲申の年ハ二月三月水あり四月雨あり五月六月大に
 熱する草木かる七月八月水あり九月十月はやく寒
 する十一月十二月風あり五穀よし栢(かや) 椎(しい) 栗(くり)のるい多し
 大豆なし
▲乙丙の年ハ春雨風あり三月四月大熱日旱なり熱病
 はやる五月六月水ありて物をかいす七月八月風あり九
 月十月雨たびくふる十一月十二月あたゝかなり又風吹麦よし
 糸綿あさいとの類なし
▲丙戌の年ハ二月三月風あり風病はやる四月五月水有六
 月病事七月八月雨風あり九月十月少しつゝ雨風あり
 十一月十二月寒する五穀よし上田下田半吉かいこ半吉
▲丁亥の年二月三月水あり霧霜多くふる四月五月寒
 雨あり六月日旱七月八月雨ふり九月十月大に寒す
 十一月あたゝかなり五穀吉麦悪しふけ田よし糸綿
 の類よしわせ田吉
▲戊子の年ハ二月三月寒する四月五月水あり六月七月大
 に日旱なり九月十月雨あり雪有十一月十二月寒風は
 げしく万物に吉田畑吉小麦大麦よしかいこよし
▲己丑の年ハ二月三月風あり四月五月水あり又熱病
 はやる六月七月熱風あり八月九月水有十一月十二月大
 に寒する五穀よしいと麻糸胡麻るい吉夏麦なし
▲庚寅の年ハ二月三月悪敷風吹て人にあたりわづらふ
 四月五月雨あり六月大に日旱也七月八月九月大雨風
 あり十月に寒ずる事極寒のことし又口舌事多し田
 畑よしかいこよし麦悪し綿あしし
▲辛卯の年ハ二月三月雨あり水少有四月五月大ひに
 日旱六月七月風あり八月九月雨ありて物をかいす
 十一月十二月あたゝか也五穀吉蚕吉ふけ田よし大豆よし
▲壬辰の年ハ二月三月病事あり四月五月水あり六月
 七月風あり水あり八月九月大に風吹十一月十二月湿風
 はやる田畑よしかいこ半吉大豆小豆いとのるい吉綿よし
▲癸巳の年ハ二月三月風霧霜多し四月五月雨あり
 六月七月水あり又熱風あり八月大に風あり九月十
 月雨ありて草木をかいす十一月十二月あたゝかなり蚕
 よし麦あしし
▲甲午年ハ二月三月日旱四月五月雨あり六月大に
 熱する也人わづらふ七月八月雷風あり九月十月湿
 風あり万物さかゆる十一月十二月寒ずる五穀よし馬牛
 多く死すかいこよし
▲乙未の年ハ二月三月風あり雨あり四月寒雨有六月
 大に熱す草木かるゝ七月八月風あり十月寒する十一月
 十二月寒じて風有水あり田畑吉大豆小豆類吉蚕よし
▲丙申の年ハ二月三月水あり疫病はやる四月五月雨あり
 六月涼風あり七月八月寒雨ありて物をがいす九月
 十月風有十一月十二月あたゝかなり五穀よし榧(かや) 桃 椎(しい)の
 類多し大豆小豆のるいあししとしるべし
▲丁酉の年ハ春水多あり四月五月大に熱す疫病はやる
 六月七月大に水あり風あり九月十月雨有十一月十二月
 大風あり冬の気あたゝかなり麦吉糸綿のるい悪し
▲戊戌の年ハ二月三月水あり疫病はやる四月五月日旱七月
 八月風あり九月十月湿熱の気むして病事はやる十一月
 十二月湿風あり五穀吉田畑よし蚕よし塩なし麦悪し
▲己亥の年ハ二月三月風あり水有四月五月日旱六月七月
 雨あり八月九月大に熱する十月雨あり十一月十二月あたゝか
 にて氷らず五穀よし麦ハあしゝ茶なし
▲庚子の年ハ二月三月寒じて水有四月五月雨あり風あり
 六月大に熱する七月水あり八月九月雨有雷あり大風吹十月
 風あり万物によし十一月十二月大小寒する田畑よし麦あしゝ
 蚕よし火事有しほ多し世の中半分ぬす人多くあつまる
▲辛丑の年ハ二月三月大風あり又牛馬多死する年也四月五月
 大に疫病はやるなり六月雨あり雷なり七月日旱八月九月
 大に熱す十一月十二月寒する五穀よし糸綿のるい多田畑吉
▲壬寅の年ハ二月三月熱して疫病はやる四月雨有五月六月
 大に熱して草木かるゝ又病はやる七月八月九月風あり
 雨有十月寒ずる十一月十二月寒じて風あり田畑よし
 かいこよし盗人多し世の中吉
▲癸卯の年ハ二月三月西風あり四月五月大に熱して疫病
 はやる六月七月水あり八月九月雨ありて万物をかいす十
 月に風あり十一月十二月春の如くあたゝか也五穀よしかいこ吉
 田畑よし世の中十分なり
▲甲辰の年ハ二月三月雨あり四月水あり五月熱風吹六月水
 あり七月八月雨風有十月熱風吹て病はやる十一月十二月
 寒じて雪多く田畑よし麦吉大豆小豆よし糸綿麻
 糸胡麻のるいよしかいこ半吉盗人多くあつまるとし也
▲乙巳の年ハ二月三月風あり霧霜多くふる四月五月雨ふりて
 又熱する六月熱風あり雨あり七月八月雨ふり九月熱す
 又俄に雨ふる事あり十月雨水十一月十二月あたゝかにして水
 こほらず麦あしゝかいこ半吉上田あしゝ下田よし塩なし
 五穀あしく万民他国へ行水にをぼれ多く死す慎むべし
▲丙午の年ハ二月三月大に寒じて霜多く四月風あり雨あり
 五月水あり六月大に熱する水あり人多く風疫病煩ふ也
 七月日旱八月雨ありて雷をなす九月に風あり十月に風
 あり草木万物さかゆる十一月十二月大に寒ずる五穀よしかいこ
 吉いと綿麻糸よし麦よしなり物半吉
▲丁未の年ハ二月三月大に風あり雨ふり四月疫病大にはやる
 五月雨有六月霞ふる七月水あり八月日旱する九月水あり十月
 寒する十一月十二月に大に寒する草木かるゝ田畑よし大豆小豆ゑ
 んとう果(このみ)のるいよし蚕よしかミのるいよし万事よき年也
▲戊申の年ハ二月熱風ありて人をやぶる三月水あり四月雨あり水
 あり五月日旱なり六月俄に熱して草木かるゝ温風吹て草木
 やふられる七月日旱なり八月風あり九月日旱也七月寒する
 十一月日旱なり十二月寒風吹て雨あり五穀よし麦吉たばこ
 よし桃榧栗のるいよし大豆小豆あしゝ
▲乙酉の年ハ二月風少あり三月雨風あり四月大に熱して疫病は
 やる六月雨あり水あり七月清風少ツヽ吹八月寒風大に吹て草
 木をがいす九月日旱なり十月大に風ふき雨ふり十一月に雪多し
 十二月風大に吹あたゝか也五穀悪し麦なしいとわた麻糸の
 るいなし大豆小豆あり
▲庚戌の年ハ二月疫病はやる三月水あり四月あたゝかにして万
 物生する五月雨ふり六月大に熱風あり雨ふり七月風有八月
 雨風有九月日旱す十月湿風あり十一月日旱十二月大に寒する
 事甚し五穀よし上田下田田畑吉蚕吉麦よし世の中十分
▲辛亥の年ハ二月風あり霜霧多くだる三月水あり四月雨ふり
 五月日旱なり六月熱気大にをこる七月雨ふり八月俄に雨ふる
 事度々あり九月日旱十月雨ふり十一月十二月大にあたたかにして
 水こほらす五穀よし麦よし塩なし肴るい多ある年なり
 人口論して多く死するとしなり
▲壬子の年ハ二月寒ずる三月水あり四月雨ふり風あり五月日旱
 六月雷あり雨ふり七月水あり八月大雨雷でんあり九月大に
 風ふく十月十一月に温風有て万物さかゆる十二月寒するなり五
 穀よし田畑吉かひこ吉麦よし大豆小豆のるいあしゝ世の中吉
▲癸丑の年ハ二月三月風あり四月大に疫病はやる五月水有六月
 雷雨あり七月日旱する八月雨ふり水有九月日旱十月風あり
 十一月十二月大に寒ずる五穀吉田畑半吉蚕半吉麻糸綿のるい吉
▲甲寅の年ハ二月三月熱風ありて人をやぶる四月日旱大にして水
 かわく也五月病事あり六月大に熱して草木かるゝ七月風有八月
 雨ふり九月水あり十月盗賊おほし十一月早く寒ずる十二月風
 あり田畑よしかいこ吉五穀吉麦わろし大豆小豆よし
▲乙卯の年ハ二月三月雨風あり四月大に日旱五月水あり六月風
 あり七月大風あり八月九月雨ありて万物をかいする十月雨風
 あり十一月日旱十二月あたたかなり五穀よし麦よしかいこよし
▲丙辰の年ハ二月疫病はやる三月日旱四月大水あり五月雨降
 六月あられふる七月風あり八月雨ふり九月日旱なり十月湿風
 ありて人をやぶる十一月十二月大に寒ずる麦よし大豆小豆よし
 麻糸わたのるいおほしかいこ吉田畑半吉五穀大吉
▲丁巳の年ハ二月三月風あり三月日旱四月雨ふり五月風あり雨
 ふり六月日旱七月水あり八月風有雨ふり九月日旱十月雨有
 十一月十二月大にあたたかにして水こほらす五穀半吉麦あしゝ上
 田吉下田悪し蚕よし糸綿のるいよし大豆小豆るい半吉
▲戊午の年ハ二月三月大に寒ずる四月風あり雨ふる五月大雨ふり
 六月大に熱して水あるべし七月日旱する也八月雨ふり九月雨
 有十月湿風吹て万物さかゆる十一月十二月大に寒ずる五穀半吉
 かいこよし大豆小豆のるいあしゝ疫病はやりて人多く死する
 年としるべし牛馬も死するなり
▲己未の年ハ二月三月の間に大に風吹べし四月疫病はやる五月水
 あり六月雨ふり風あり七月水あり八月大にあたたか也九月
 水あり十月寒ずる又水あり十一月十二月大に寒ずる田畑吉
 大豆小豆のるいよしかいこ吉夏麦なし又茶なし
▲庚申の年ハ二月熱風吹て人をやぶり三月水あり四月雨ふり
 湿風あり五月大風あり水あり六月大に熱して草木ことく
 くかるゝ七月日旱八月風ありて霧霞多し九月十月はやく
 寒ずる十一月十二月寒風ありて雨ふる五穀よし田畑半吉
 麦あしゝかや栗のるい多し大豆小豆あしゝ
▲辛酉の年ハ二月三月寒じて雨ふり四月大に熱して疫
 病はやる五月水有六月水あり風吹七月日旱八月九月寒
 雨ありて万物をがいする十月涼風あり雨ふり十一月十二月大
 風有大にあたたかなるべし田畑よしかいこ半吉麦吉糸綿麻
 糸の類なし夏気大に熱して牛馬共多く死すと知るべし
▲壬戌の年ハ二月三月大に疫病はやるべし又水あり四月大
 水あり五月水有六月大にあられふる七月風あり八月雨
 ふり風あり九月日旱する十月湿風ありて病はやる十一
 月十二月大に寒ずる五穀吉田畑半吉かいこ吉
▲癸亥の年ハ二月三月風あり霧霞ふる四月雨ふり五月日
 旱六月大に熱する七月日でり八月日旱又雨ふり九月風有
 十月雨ふり十一月十二月大にあたたか也田畑よし五穀よし麦
 よし綿麻糸のるいすくなしぬす人あり大豆小豆吉としるべし
▲右六十年の吉凶をしるす又日月星雲気虹気雷電の
 気風雨の気或ハ節中気正月元日の気とを能々見あハすべし
 しかれバ則年々の吉凶いよく明かに知るゝと云々
   日輪を候て吉凶を知る事
▲日出て黄なる雲日の三方にみゝのごとくつき出るハ天下太平
 国家安穏のしるしとしるべし
▲日のふたつならび出る四海太平天下長久のしるし也昔
 帝舜の即位の御時日二ツ並び出夫より天下大に治る事明也
▲五色の雲出て日をのせささげたるハ是も天下太平五穀成
 就万物ゆたかにして民大にさかゆるしるしと知るべし
▲日のちかきところに黄なる雲うるほひありて立たるハ吉祥
 雲と号(なづ)く天下国家大に平かにして隣国の者来りて隨がふ
 瑞雲なりとしるべし
▲日出て火焔の如くなる気上にのぼる事あるは大に旱(ひでり)する也雲
 気の形へびのごとく日をつらぬき色青きハ疫病はやる色白きハ
 大に悪し日出て光なく其色赤く血の如くなるハ国飢饉と知べし
▲日の半分黒く半分白き事あるハ大に悪し人民多死する又日
 の色黒く光なきハ万民又万物にたゝりそこなひやぶるとしるべし
▲日ふたつ出て一所にすれあひ重りかゝるとあらハ大に国にたゝると
 知るべし
▲日と月と一所に出て日すてに月の中に重り入事あらバ是大に凶
 なりむかし秦の子嬰(えい)の時右のごとくに有しとなり
▲白き雲出て日をつらぬけバ凶し万民飢死するつらぬき通ら
 すハ死せずとしるべし日の下に黒雲の形にわとりの如く又ハ
 にハとりのたゝかふていの雲あらバ火災ありとしるべし又大に日旱
 すると心得べし
▲日のかさ一重ハ小雨と知るべし二重あるハ雨風ありと心得べし
 三重なるハ凶しとしるべし
▲日の色黒く光なく日蝕に似たりかくのごとく出るハ人民わずらい
 大に死する事百八十日のうちにありとしるべし
▲日の出に雲あり日の両わきに付たるハ大風吹べし申の時より後に
 日の両わきにみゝのごとく雲あるハ明日雨ふるとしるべし
▲日のかたくに雲あるハ半の日ふりやみ両脇に有ハ長の日ふり止む也
 午の時の前に日にかさあるハ北風吹午の時後にあれバ風しずか也
▲日の暈(かさ)あしたに白く夕に赤きハ大風砂を飛せ石をうごかす
▲日の入に黒く赤き日の色あるハ雨なし風ありとしるべし
▲朝日あかくして天をこがすハ風吹く也朝日赤く地をやくハ小雨
 ふるとしるべし
▲日のひかりかゞやくハかならず風吹としるべし
   月輪を候て吉凶を知る事
▲月日の中にありて東方に見ゆるハ天下国家太平の瑞(ずい)としるべし
▲月の初め十五日より前に満月なるハ大に凶し十五日より後に月虧(かく)
 べきに虧(かけ)ずして満月なるハ六十日のうちに災ひ有としるべし
 又十四日十五日の夜の月満ざるハ大に日旱と知るべし月に四角
 なる暈あらバ国中飢饉して民多死す其かさ色赤きハ大
 に凶し人の身にたたるとしるべし
▲月の色黄にして青きハ飢饉也又大風あり赤きハ火災と知る
 べし黒きハ水災也満月二ツにわれて見ゆるにハ国家大に凶し
 としるべし
▲月蝕に色赤きハ大に日旱する也蝕の間に大風あるハ疫病は
 やる蝕の間に風雪あらバ来年飢饉ありとしるべし人民煩死す
▲月のめぐりに三の星ありて月にちかふして鼎(かなえ)の三足の
 如く見ゆるハ大に凶し十日のうちに災ひありとこころへべし
▲三日月の下に星ありてひとつ光り明らかなるハ大にあしく
 三日四日の月の両のとがりに星あるハ人民わずらい死すべし
▲月蝕十分にして彗星(けいせい)出るハ六十日の内に災ひあり月出て五
 星の中に入事あらバ八月に大霜ふり五穀実らず民飢盗
 賊をこる八月すえにあらバ来年八月にありとしるべし
▲月のめぐりに赤き雲有角の如く見ゆるハ大に凶しとしるべし
 黄なる雲有て角の如くならバ大に国ゆたかにして吉としるべ
 し白く黒き雲有て角のごとくなるハ二年を出ずして国中
 大に疫病あるべし
▲月の両わきに二星あるハ大にあしく国中に盗賊おほかるべし
▲月出て四星の中に入ぬれバ国中に災あり人飢死する事あるべし
▲月二ツ赤く出るハ大に悪しと知るべし漢の呂后(りょこう)の因是有と云
▲月に輪ありてハかならず雨ふるとしるべし
   星を候て吉凶知る事
▲徳星のほしといふハ其形ち常なし光大にして中空也
 或ハ三星あつまり赤き気あり又京星とも名づく此星顕
 るるハ大に吉君として仁有臣として忠有て国大に栄ゆること也
▲寿星といふほしハ大きなる星西方に出てひかり大に色黄
 なるべしこれを寿星と名づく大に命ながく国久しかるべし
▲妖星といふ此ほし天下災難あるべきを兼てよりあるハ思しめし
 玉ふ星也かたちの長きハ久しき災ひその災大なり形ち
 小なるハわざハひも少なし又しばしにてとゞまる也
▲三大星此ほし東南にあらハるゝハ天下におゐて盗賊どもおほく
 をこると知るべし又西南のかたにあらハるゝハわた布のるい天下の
 五穀たかし東北のかたにあらハるゝハ君王にうれへ有米高く
 民飢西北のかたにあらハるゝハ田畑不作にして人多く死する
▲天狗星あり色赤く上とがりて下たいらか也赤き光出てはら
 きのごとく雲あつまれバ光りうつりて大になり外赤く内黄
 にして犬のかたちの如し此星出れバ大に悪く五穀たかし
▲蚩尤星(しにうせい)ハ色赤く上とがりて星のかたち旗の手のごとし雲にうつ
 れバ三俣(また)にしてひかりハ赤く黄なりこれハ天下の災難を示す
 ほしなり
▲天(てん)槍(そう)星ハ真東に出て長さ五六尺三月の頃あらハるゝかならず飢
 饉疫癘はやるべし万民わづらい死するなり
▲六賊星といふハ真南の方にあらハれて地をさる事六丈あまり形
 ハ彗星にて大に色あかくうごきめぐるこれ大にあしきほしなり
 国中に盗賊おほくありて人をなやます也
▲司危(しき)星といふ星ハ真西の方に出て太白星の形に似たり大にし
 て下の方色赤し是下として上をおかし不義を以て乱と知るべし
▲乱蓬(らんほう)星といふほし西南の方に出てはなハだ美なり色しろく
 赤くしてきつね火のことくなり長さ数丈にしてあるいは四五又
 ハ一二有左右のわきとがれり此星あらハるれハ三年を出ずし
 て国大にあしゝ五穀みのらず万事不作也民飢死する
▲国宣星というほしそのかたち大にして色あかく南極の老
 人星に似たり此星あらハるゝ時ハ五穀大に高しとしるべし
▲是らのほか歳星 螢惑(けいわく) 辰星 鎮(ちん)星 大白星此五星も時により
 日によりて福となりわざハひとなる星也上より下におつるは
 飢饉又ハ国主に患へあり星下よりして上にのぼるハ国主の災ひ
 としるべし星のあいたたかうことあり大に国にたたり人民死する
▲彗星ハ天下太平の世にハかくれてあらハれず無道の世にハ此星
 則ち出て災ひをしめすと也或ハ月のかたハらにあらハるゝは
 大にあしく星の色白きハ田畑五穀不作にして悪し黄な
 るハ洪水ありて万物をそこないやぶる色赤きハ大にあしく
 五穀高直にして人民家をはなれ財宝を失ふ南に出るを
 蛍惑星と名づく天下日旱と知るべし大にあしく北に出るを大
 謀星という此ほしあらハ大に悪しと知べし西に出るを金星
 となづく大に国中に盗賊をこる東に出るを軍星と名づく大
 に国にたゝり凶し中央の空に見ゆるハ大乙星となづく洪水
 旱魃火災疫癘蝗虫飢饉さまざま凶き事見ゆる昼みゆるは
 災いいよくはげし
▲客星というハ廿八宿の星のやどりに妖星入りて其座をうばふ
 これ客の星いふ心也是も彗星のへんじたるもの也凡星の
 地に落たるハ石となる上より下にくだるハ流星也下より上にのぼるは
 飛星也妖星の名六十四種有今大略をしるす末巻にみへたり
   雲の気を見て年の吉凶知る事
▲立春日四方に黄なる運気あらバ五穀大にみのる青き気あるハ
 蝗のがいあり黄なる色のまじりたるも同じ赤き気あらバ大に日
 旱する黒き気洪水なり
▲春分の日東の方に青き雲あらバ麦大によし雲なきハ万物
 みのらず却而疫癘はやる其日晴あがりて雲なきハ万よし
▲立夏の日巳の時東南の方に青き雲青き気あらバ年豊か
 なり青気なけれバその年わざわいあるべし
▲夏至の日午の時南の方に赤き気あるハ百穀によし万物大に
 みのる雲なく日月に光なくハ五穀みのらず人疫病煩い死する也
▲立秋の日申の時西南のかたに赤き雲あれバ粟米のるいに
 よし雲なきハ万物みのらず地震あり牛馬わずらい多く死
 する事来年の正月までにいたるべし
▲秋分の日日の入時分西の方に白き雲あるハ其年豊かにして五
 穀みのる雲なきハ霜多くふりて人民煩ふ事来年の二月迄ニ至る
▲立冬の日西北のかたに白き気ありて龍のごとく馬のかたちに
 似たり麻糸のるいによし大に年ゆたかなりとしるべし気な
 けれバ大にかんじて万物をそこなひやぶる又人民疫病を煩ふこと
 来年の四月までに至るべし
▲冬至の日北の方に青き雲有てハ来年大によし雲なけれ
 バ悪しとしるべし赤き気あらバ日旱としるべし黒き水也
 白きハ疫病はやる黄なる気ハ火災と知べし又黄なる気ハ五
 穀田畑に大によしみのるべし
   虹を候見て吉凶知る事
▲虹立て西にあるハ明日必らず雨ふるべし東に見ゆるハ雨ふ
 らずしてかならず風吹べし虹立てきれくに光ちるハ
 風大にふくべし日暮に東南に虹立バかならず大風吹くべし二
 月西に虹立バ五穀高直としるべし三月朔日に虹あらバ
 米高直と知べし四月節に虹あらバ米麦大豆小豆の類
 高直としるべし五月に虹あらバ大麦小麦高直と知べし七月
 に虹あらバ五穀高し八月虹あらバ粟高し十月に虹あらバ
 田畑不作としるべし十二月虹あらバ人民わずらう又虹さいくあ
 らバ大豆高しと知べし
   電気候風雨知る事
▲電(いな)びかり西南のかたにみゆるハ明日天気よし西北の方にいな
 ひかりみゆるハ雨ふるべしいなびかりみたれてきらめくハ雨はれて風
 も吹ずとしるべし
▲夏の風ハいな光りの方より吹秋の風ハ電光の方に向ひて吹なり
▲春のいなびかりハわざわいなし
▲夏のいなびかりハ大雨あり
▲秋のいなびかりハ風吹べし
▲冬のいなびかりハ大に風吹べし
▲東のかたにいなびかりハ大雨あり
▲西のかたにいなびかりあらバ日旱なり
▲南のかたにいなびかりあらバ大雨あり
▲北のかたにいなびかりあるハ雨風あり
   雲気を見て雨風の吉凶知る事
▲秋の空に雲おほひ曇るとも風吹されバ雨ふらず海すゝめと
 いふ鳥おほく飛来るハ雨風のしるし也下肚白き鳥ハ風吹下肚
 黒き鳥飛来るハ雨ふる
▲ぬえの夜なくこえ一声ハ風也二声なくハ雨なり三声四こえハ
 明日長閑(のどか)也雨風なし飛蟻(はあり)の出ると魚の水の上にをどるに
 ハみな雨風のしるしなり
▲朝きりにハ雨ふる夕霧にハ雨晴る卯の朝に風ふかバその日雨
 ありと知るべし月すでに畢宿(ひつしゅく)をはなるれバ雨ふる事車
 軸をながす木のこずへに風そよくと吹いしすへぬれて雌鳩(めはと)
 飛めぐりふゆふむらがり飛ハみな雨のしるし也
▲西北の方に黒雲をこるハ雨也夏雷おひたゝし赤き雲日出に出
 るハ雨也魚鱗の如くなる雲おこるハ雨ふらねバ風吹くべし
▲秋ハ東南のかたより風ふかば雨ふるべし
▲春夏西北のかたより雨風あるべし
▲夏の己卯の日風ふけバ五穀物不作なり
▲秋の己卯の日風吹バ日旱するなり
▲冬の己卯の日風あれバ人大に煩ふべし
▲夏と秋とのさかひに大風あれバかならず雨ふり大水あるべし
 星のひかりきらめきて白きハ風ありとしるべし
▲月の廿五六日に雨ふらずハ来月の三日四日に大風ありとしるべし
▲黒雲わざハひをなす赤雲ハ戌の月わざハひをなすとしるべし
▲引雲ハ雨を生ずうわ雲ハ大風生ず久敷きへざるバながし
 はやくきゆるハ風強し
▲春風ハかすみ風をつゝむゆへなり秋風ハきりをやぶるなり
▲大風吹べき時ハ前日より大海のうしほぬるみふとるべし
▲さがり雲ハ大風生す久敷きへざるハかろし
   雨降出す時により降晴るゝを知事
▲申子辰の時ふり出すハ雨ながし巳酉丑の時ふり出すハ長天
 日晴るゝなり寅午戌の時ふり出すハふりふらずくもる亥
 卯未の時ふり出すハ長天日晴るゝなり
▲寅卯の時寅卯のかたに帯のごとくなか白雲又黒雲たな
 びくハ甲乙のひかならず雨ふる辰巳の時辰巳のかたに白雲
 又黒雲たな引ハ丙丁の日雨ふる午未の時午未のかたに
 白雲黒雲ありて日をおそふハつちのへつちのとの日雨
 ふる又旺相の日雨ふりハ万物底名光らす也
▲雲きれてはやきハ大風生ずる也
▲虹立て跡先中はやくきへるハ俄に大風又大雨ふるべし
▲雨のあしこまかにして陰風生する雨あしふとくして陽風生ずる
▲陰月赤雲立ハかならずわざわひあり陰月紫の雲立てハ大風
 生ずる陰の月に戌亥に雲立てハ風生る陽の月に己午に
 雲立てハ風生ずる陰の月ハ雨ののち風生る陽の月は
 風のち雨生ずる陰の月陽の風ハ久しからず陽の月に
 陰の風ハ久しからずとしるべし
▲三方に雲立てうごくとも北の黒雲少しありてうごかバ陰陽
 の風生ずるなり
▲三月四月五月中頃まで日旱六月七月中頃まで日旱にハ暮の
 塩多し大豆万の田畑作りものたかし油二匁六月の日旱
 にハ十分なり大豆あしきなり冬の土用寒ずることつよけれバ
 六月の土用日旱なり六月土用に雨ふれバ冬の土用に日
 旱としるべし節分弐百十日二十日のうちそとに大風大雨
 あるハ四気の陽気うつりかわるゆへに雨風有
▲三月の霜ふりてのちかならず雨ふるなり
    毎月定て風雨吹ふる日の事
▲正月一日廿二日午の時風あり風なけれハ雨あり二月九日
 十二日廿四日昼過て雨風あり三月三日十七日二十七日午の時
 後風雨あり四月八日十二日廿二日午の時雨風あり五月三日
 十七日廿七日昼過て風雨あり六月十二日十八日卯辰の時風
 あり七月七日九日十五日午の時風雨あり八月三日八日十七日
 廿七日雨風あり九月十一日十七日十九日雨風あり十月十五日十
 八日十九日廿七日卯の時雨風あり十一月一日三日十九日雨風有
 十二月二日五日八日風雨あり
▲八月のうちに甲寅己丑の日あらハかならず風吹べし
    煙気を見て吉凶知る事
▲煙り立様の事ハ南むきの家より立て東へなびくハ
 大によし西へなびくは悪し
▲南へなびくハ火災北へなびくハ悪し西向の家より立て南へ
 なびくハ火災災難あり北むきの家より立て四方の角へ
 なびくもあしゝ東向きの家より立て西へなびくもあしゝ
 つつしむべきなり
    四季の気見て吉凶しる事
▲春ハ木青色なり寅卯の時東へなびくハ家の内口説あり
 寅卯の時南へなびくハ家内に死人有べし中にも丙辰の日
 凶なり
▲寅卯の時西へなびくハ家内に災難あるべし寅夘のとき
 北へなびくハ子細なし大に吉親王より宝を得る寅卯
 の時直にたかく立ハ長久の相なり寅卯の時未申の方へ
 なびくハ子を生ずべし
▲夏ハ火赤色己午の時東へ立ハ家内に死人有べし下人口説
 あり己午の時南へなびくハ口説なり中にも丙丁の日
 あしきなり
▲己午の時西へなびくハ大によし己午の時未申の方へ立ハ悪し
 己午の時直に高く立ハ家内に悪事ありつつしむべし
▲秋ハ金白色申丙の時東のかたへ立ハ家内に死人あり申酉
 の時南へ立ハ災なんあり申丙の時西のかたへ立ハ家内に
 たから来る相なり申酉の時北へ立ハその主長久なり申
 酉のとき未申へなびくハ家内大吉としるべし申酉の時
 すぐに高く立ハ大吉なり
▲冬ハ水黒色亥子の時東へなびくハそのぬし位にすすむ
 よろこびあり亥子の時南へ立ハ家内に死人あり亥子の
 時西へ立バ悪事あるべし亥子の時北へなびくハ家内悪敷
 たからをうしなう亥子のときすぐに高く立ハ家内富
 気するなり
▲土用ハ土黄色丑未辰戌の時東へ立ハ子を生ずよろこび
 あり丑未辰戌の時南へなびくハ家内あしゝ丑未辰戌の
 時西へ立ハ家内によろこびあり大によし丑未辰戌のとき
 北へたつハ家内ニ口説ありあしゝ丑未辰戌の時すぐにた
 かく立ハ家内によろこびありて大によし
▲火気というハ家の棟の最中に一文字に高く天上する
 気あり此気を火気というなり又此気死火にもへんずる
 なりよくまつりごとをすべしおなじく死会ハ五色
 の外なり多分うすき気なりよくく見べし
▲死気といふハ軒場をまきかへしのぼる事なく庭土におち
 るハかならず死気なり
▲病の気というハ煙だんくにきれのぼるなりかならず其
 家に病人あり
▲家の棟にとどまって上らざるも病の気なり又棟より
 さほのごとく立てなかよりおるゝハ火気なり
▲午の内家の棟を左りまきにまけバ其家の内逆心の者
 ありと心得べし又家の軒を巻かえしするも病の気也
▲煙気死火の様に家のむねをつゝみそのうちを鳶烏な
 きさわぐハ人の死すべき気なりとしるべし
    軍中において雲煙の吉凶知事
▲敵軍の気林木のごとくに立ハかつせんすべからず其気わが
 いくさのうえにあらバかならず勝べし気日の光のごとく赤
 きハ大によし
▲気天上して白き事あり悦気と名づくのぞむところの
 軍かならず大利を得べし
▲気風にみだれずはたの光のごとくして風上にしたがハバ敵
 其日の合戦に必ずかつべきしるしなり是ハ敵の気なり
▲敵の上気白くして楼のごとくいとすじのごとく又赤き気立ハ敵
 兵強し打つべからず其気我いくさのうえにあらバかならず勝べし
▲敵軍のうえに黄に白く厚くうるわしく立ハせむべからず
 我うえに気あらバ勝べし
▲遥にみるに軍上の雲に鶏のたたかふがごとく赤白相まじ
 ハる気あるハ天道のたすけありかゝるべからず
▲軍営のうえに五色の気ありて天よりくだりつらなりて有バ
 これ天の守護の気なり赤白黄の三ツ気立バみなこれ
 大によしみだりにせむべからず敵軍のうえよりわが陣
 所へ雲気きたり終日やまずハいでて合戦すべからず凶なり
▲敵の上の気色鳥のきもごとくあかく又ハ火のごとく又から
 かさのごとくなるはかならず敗軍すべきしるしなり
▲黒気立てわけもなく物のかたちのごとくにして我いくさの
 うへに落かかる事あらバかならず敗軍すべし凶なり
▲軍のうへの気昏(ゆうべ)よりおこりつらなりて人をてらすとき
 ハ軍士必ずさんらんすべし
▲軍上に赤気あつてほのをのごとく天よりくだる時ハかな
 らず大将うち死すべし衆散乱うたがひなきもの也
▲軍上に黒気ありて牛馬のごとくなる風きりのうちより下り
 漸々(ぜんぜん)いくさに入事天狗(てんぐ)くだりて血食するなり敗軍の
 相也敵の城のうへに白気ありて旗のごとくなるハせむべから
 ず我まへにあらバ吉慶なり
▲城の気の上に青烟立東へなびき又西に出て去来(きょらい)する
 事かならず和ぼくあるべし
▲城中のけぶり建にして天上する時ハ其城をせむべからず
▲敵城の気雲気五色たちて蓮花のひらけたるがごとくなる
 ハ是天道のたすけある所也かゝるべからず
▲敵城の気白けふりたちてすゝきのごとくならハせむべから
 ず是天道の守護はなはだしきゆへなり
▲城の上に黒煙のうちにかたちあり出入のごとくならハ大凶かな
 らず五日のうちに落城すべし総じて五尺一丈のうちにて
 横気なるハ悪事出来べき瑞なり
▲城中よりけぶりほそながく立ならバ三七日のうち火事ある
 べしつゝしむべしまた煙ながく立て中よりきるゝ事あらバ
 城中に病多はやるべし
▲城中より黒煙の気まきかへすがごとく立ならバ難儀出来す
 べきなり
▲気のかたち鑓鉾鎌などのかたちしたる気立ことあらハ三日
 のうちに喧嘩あるべし軍の上の気発して漸々雲の如く
 又山のかたちのごとくならバ大将かならずはかりごとなす気
 としるべし
▲敵上の気黒く中あかき事あらバかならず大将精■をな
 すなりみなかつ事を得ざるものなり
▲敵上の気青くしてそゞろにちらバ大将つたなくして敗軍すべし
▲雲気のかたち牛馬のごとく手足をたれ頭をたるゝごとくなら
 バ敵将降参すべ相なり是を降人の気という
▲雲気のかたち龍のごとく又くハえんのごとくあるいは日月の如く
 若ハ山林のごとく又頭とかりなびき気立て摟門のごとく
 なるハ大吉也是猛気という天道守護の気なり
▲城の上火焔のごとく立出るならバ主人又軍兵合戦に勇む也
▲雲上の気杵のごとく城中より外に向て其内の軍兵つき
 いで城の上にある雲西へ恵如のかたちをなすハいかやうに
 せむる共其城落べからず是則諸天の冥助の気なり
▲城せむるに赤気城の上にあり又黄なる色四方をめぐらば
 城主かならず打死すべし降参の気なり
▲敵の城の上に雲気赤気ありて飛鳥のごとく散乱せばはやく
 打破るべしゆだんをさする事なかれ
▲城の上の煙気死火の灰のごとく其風出ていくさの上に覆バ
 軍兵多くうたるべし城落べし是落城の気といふ城
 の上に雲気煙気の一円に立ざるも散乱といふてあしゝ
 としるべし散乱のもとひなり
▲城をせむるに白気ありて城のうちにまハり入る事あらバ
 いそぎせめ破るべし大利を得べし
▲雲上に曲蛇のかたちなる気ありて城の外より城中に入らバ
 三日七日のうちにかならずめつぼうすべきなり
▲敵上の雲気車のおほひのごとくならバかかるべからず
   五音の気を以て吉凶しる事
▲宮気(きうき)といふハ四季の土用をつかさどる一越(いちをつ)なり其の気のかた
 ちいかにもすなをにして空へ立のびてゆがむ事なし是を
 宮気といふなり大に吉なる気なり
▲商気といふハ秋をつかさどる気なり平調なりその気の
 かたち上にてよこへなびく高く立こと多し是を商気と
 いふなり大にあしき気なり
▲角(かく)気といふハ春をつかさどる気なり双調なりその気の
 かたちいかにもすぐに立のぼりて竹の子のはえならびたるが
 ごとし是を角気といふ大に吉気なりと知るべし
▲徴(ち)気といふ夏をつかさどる気なり黄鐘なり雲気のかたち
 ふるぐつをふすふるがごとしもとにてけふりまへてすへにのぼる
 是を徴気といふなり中の気なり
▲羽気といふハ冬をつかさどる気なり盤陳(はんちん)なりその気の
 かたちハすなをに立かとすれバすへにてまがれり山茨(さんし)この
 花ひらけたるがごとし是を羽気といふなり悪気也

 右五気の次第あるひハ雲煙の気節気の次第を以て見
 合すべし節中気の雲気の見やうの次第又ハ烏鳶鶏
 犬狐の飛めぐりあるひハ鳴声を聞善悪を知事追て
 末巻にあらハす物なり

 東方朔秘伝置文
  安政六年己未中夏再刻

   東都  花山堂蔵版
          印 印

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儀定書之事 万延元年(1860) 越畑・新井ハツエ家文書 25

  儀定書之事
 山高様御分
  一上田四畝歩    字前ニ而
 羽太様御分
  一上田五畝五歩    〃前
 〃
  一下田壱反五畝廿六歩 字川向う
              なべ谷ツ
 山高様御分
         此畑之儀ハ右浅右衛門方より
  一上畑弐畝歩 四畝質物ニ取置候地所
          弐畝宛ニ分ル
               字下谷戸前
 酒井様御分
  一山林壱反五畝歩    字城山ニ而
  田畑山林合四反壱畝壱歩
 一右者当人太兵衛方及大披ニ候ニ付本家
  ニ而跡式相立チ度候忰ノ後見仕候段
  博奕其外悪所場江人目ニ多立
  さりぬ様ニ候而太兵衛家相続仕候
  ハヽ前書之地面相譲全以相違
  無御座候爲念仍而如件
    萬延元庚申年
        二月日     萬蔵
                弁治郎

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指出し申詫書一札之事 慶応三年(1867) 越畑・新井ハツエ家文書 31

   指出し申詫書一札之事
一私義去月廿二日夜近所伊右衛門殿
 門崎江通り掛り候処何者カ立ち廻り
 居り候処ニ付色敷者与心得見
 咎候ハヾ逃出し候ニ付追欠及打擲ニ
 姓名相尋候処村方房吉与名乗り
 候ニ付其侭捨置候所世話人ヲ以
 段々被及懸合候処金子貸借
 之儀ニ付罷越し候与相分り右ニ付
 私義無方相働き一同相騒し
 候段甚タ以不埒千万之義
 仕出し右之次第被相糺一言
 之申訳も無之先非後悔候也
 更発明仕候ニ御世話人江取縋
 御若衆中様江御詫申入候処
 早速御聞済被成下難有仕合
 奉存候若し此後右等之
 次第相働候得ハヾ御若衆
 中様より如何様之儀ニ相預り候
 共一言之義申間敷候然ル上ハ
 向後右様之儀者不及申万端
 相慎可申候為後日差出し申
 詫書一札仍而如件
  慶応三年
    卯八月二日
          当人 金次郎
          親類 新蔵
          組合代印親類
             六左衛門
          世ハ人
             義右衛門
           〃 
             宇兵衛
           〃
             小市郎
  下郷
   御若衆中様

     越畑・新井ハツエ家文書 31.pdf

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御奉書請書 慶応四年(1868) 越畑・新井ハツエ家文書 32

    御奉書請書
  前書通り
御印状御渡シ相成拝見奉畏候然ハ御入用之
人馬觸當リ次第聊無相違達指出し御用支
不相成様相勤可申候依而御請印形奉差
上處如件
    御請書之事
 今般
御總督府様忍御城御滞陣中道中
御取締様方御印状以私共村方御滞陣中
当分助合被仰付
御尊判拝見承知奉畏然上ハご入用之
人馬御觸当り次第指出し可申候大切之御用
別而遅き余者勿論駒人馬に決而指出し
申間敷候若シ不埒之勤方有之候ハヽ何様之
御取計ニ相成候共聊之申分無御座候依而御詫
印形指出し申候依如件
   慶応四年
    辰壬四月日 武藏国比企郡
              越畑村
                名主 印形
                与頭 印形
                百姓代印形

          越畑・新井ハツエ家文書 32.pdf

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2009年7月12日 (日)

乍恐以書付御嘆願奉申上候 慶応四年(1868) 越畑・新井ハツエ家文書 33

  乍恐以書付御嘆願奉申上候
 比企郡越畑村名主伊右衛門組頭半左衛門
今般
 御総督府様 忍御城御伝馬之儀ニ付
 御印状拝見被仰付承知奉畏候今日
 人足召連可罷出旨之達有之候処村方
 ニ而小前困窮人之者共取込出来候趣ニ付
 今日人足不参仕候間此段幾重ニも
 御勘弁之程奉願上候直又私其村方
 之儀者必至与難渋至極仕候隣村
 両村ニても凡高五百余可有候処承知
 仕候間右御伝馬筋之儀者休役ニ相成
 居り候ニ付私村方御伝馬人足之義ハ半高
 勤メ可相成候様御願度何率格別之
 御慈悲を聞済之程偏ニ被成下置候様
 奉願上候以上
  慶応四辰年
    壬四月日
           右村
            名主 伝右衛門
            与頭 半右衛門
  御当所
   御役人中様

          越畑・新井ハツエ家文書 33.pdf

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指出し申詫出一札之事 明治二年(1869) 越畑・新井ハツエ家文書 34

  指出し申詫出一札之事
一今般私義近家安五郎殿
 女房い乃との与馴合去月廿六日
 安五郎宅江忍入候所被取留
 段々御懸合ニ被及候処甚以
 不埒不義の働キ方右ニ就テハ
 御若衆中様より右等之次第被
 相尋候此後何方ニて茂右様
 のギ仕出し候も不相知候左様義ニてハ
 百性相続ニも相拘り候様被申
 聞全以恐入ニ付巳来ハ隣家江
 たり共私用之義ニては足踏一
 切仕間敷候若相背候ハヾ
 御若衆中様御一会被相除候
 とも決而相恨ミ不申候為
 後日差出し申一札依而如件
   明治二年   越畑村 当人
    巳二月日      親類
     同村       組合
      御若衆中様   せハ人

          越畑・新井ハツエ家文書 34.pdf

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2009年7月11日 (土)

記 明治七年(1874) 越畑・新井ハツエ家文書 36

   記
 第六百四拾三号
 字東川端
一田九畝拾五歩
  此地代金拾三円三拾銭
     此質代金五拾三円五拾銭
 右之地所今般我等方江質地ニ請取
 候ニ付地券状正ニ相願申候最年季明
 質代金請取申候上者地所
 地券證共無相違御返可申候也
            越畑村
  明治七年三月廿一日  新井辨次郎
      同村
       馬場善三郎殿

          越畑・新井ハツエ家文書 36.pdf

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2009年7月10日 (金)

質地証文之事 明治八年(1875) 越畑・新井ハツエ家文書 38

    質地証文之事
 第四百拾三号
 四百拾三番字大木
一畑三畝拾九歩
  此地代金三円三拾銭
        此質代金廿一円五拾銭
右者地所今般地券証相添貴殿ヘ質
地相渡書面之通正ニ受取申候處実正也
年季之義ハ当明治八年九月より満三ヶ
年季取極申候然上ハ年限中御
租税諸役等貴殿より御上納可被成候
年季明質代金返済仕候ハヾ地所
地券証とも無相違御返し可被成候
爲後日質地証文因而如件
          越畑村
           地主
 明治八年九月二十日  馬場千代吉
           証人
            馬場平次郎
         
    同前
     靑木平次郎殿
前書之通相違無之ニ付奥印致候也
         戸長
          船戸鍋六

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2009年7月 9日 (木)

地所永代売買約定証書 明治十年(1877) 越畑・新井ハツエ家文書 39

  地所永代売買約定証書
武蔵国比企郡越畑村持主
一田壱反弐拾歩    馬場松太郎
右之地所今般以祝金百円売渡且ツ
買請可申筈證人相立相談相整
申候上者親類組合等故障ヶ間敷儀
一切御坐なく候尤金円取付之儀ハ本
年三月廿日限金七拾壱円相渡し且ツ
可申候尤残金弐拾九円之儀ハ追々
精々相渡可申候尤本年六月十日迄ニハ
不残調金可仕候尤地券証書換早々
相渡可申候事本書之通互ニ
承知仕候上者違変等申間敷候
若双方共違変申候節者違約金
トシテ証人方江金弐拾五円ツヽ差出シ
可申筈承知仕候依而地所永代売買
約定之証如件  越畑村
        売渡人
         馬場松太郎
 明治十年
    一月廿七日 
        買受人
         新井辨次郎
   同村
    強瀬泰助殿

     越畑・新井ハツエ家文書 39.pdf

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2009年7月 8日 (水)

差出し申一札之事 年欠 越畑・新井ハツエ家文書 125

  差出し申一札之事
一此度私娘なみ儀ニ付風聞相立候得ニ付
 御若衆中様より段々之御懸合ニ被及候就テ者
 一家相続之妨ニ相成私方ニおゐて者聊
 左様之儀無御座候様申候得共全以左様
 之儀ニ者無御座候此後何方江御窺ニ相成リ
 候とも此度之儀ニ付テ者如何様ニ相成リ候とも
 御若衆中様御引合ニ者決而致間敷候若し
 娘義ニ付馴合当人相手方相分リ候節ハ御掛合
 請候とも一言之否申間鋪候爲念一札差
 出候事一札如件      
              当人小市郎
     年号       親類
     月日
       御若衆様

          越畑・新井ハツエ家文書 125.pdf

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2009年7月 7日 (火)

差出し申書付之事 年欠 越畑・新井ハツエ家文書 126

  差出し申書付之事
 我義村方百姓弥之助殿之孫娘津るとの
 と年来相馴染居り候処此度相難離由
申女房ニ貰請くれ候様申押し込罷有候無非
是先方へ御世話人ヲ以種々懸合被及候右ハ
忠左衛門病死後養子トあなどり増長致
相続方を相誘ひ不届之致方已ニ御役所ニ
おゐて御しらべ願可被出処格別之御勘弁
を示談行届当人買請候処右ニ付曲輪内
御若衆中様江右等之始末不埒
先万明友之誠心も背き候故種々申入候処
右百姓相続方相だまし一家相潰れ候を考
つき相勤養子を捨させ孝慈ニ付為背
明友之誠心をも不■曲輪之内をも不正
御上様御気色と相掛リ甚以不勤候段種々
御若衆中より御懸合へ被及全以先非後悔
今更■明■■■■御セ話人江取縋り申入
候処右ハ格別之不立廻リ義ニ付以来
曲輪内相続方婦人之場江御立入決而
致間敷若し相背候ハヾ何様御取計ひ
候とも連印之上急度埒明可申候

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2009年7月 6日 (月)

差出シ申詫一札之事 年欠 越畑・新井ハツエ家文書 127

   差出シ申詫一札之事
一私儀当月十五日夜村方忠右衛門殿
 留主中附込居越伏リ居翌日迄
 相続長居致候処忠右衛門帰宅
 いたし其筋被相尋疑敷被察
 難相立其場を逃去り御世話人江
 取縋リ御頼先方江申入候処馴合
 筋ニ申被談誠ニ以一言之申訳
 無御座候依之御詫申入御聞済
 にも相成右ニ付御若衆様江御詫
 申上慎中不立廻リニ付其段御利
 解相預リ重々申訳無之全以
 先非後悔致屈伏種々御詫申上
 候処早速御聞済被成下難有仕合ニ
 奉存候然ル上ハ重而右様之儀仕出シ
 候ハヽ如何様御取計被成候共決而
 後悔仕間敷為後日詫一札依之
 如件

     越畑・新井ハツエ家文書 127.pdf

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詫書一札之事 年欠 越畑・新井ハツエ家文書 128

   詫書一札之事
一今般村方御若衆中様より吉田村回向挑灯出来
 割合取立等之儀ニ付過取風聞相立候処御一同様より
 段々御僉鑿之上へ被及御懸合候処諸書付披見被為致候
 処諸勘定等之儀聊も相違無御座全以心得私共不取留
 儀申御若衆中様
 を蔑ニ致発言仕候ニ陥リ種々御利解被仰聞
 先非後悔屈伏仕一言之申訳も無御座候
 依之御世話人相頼御詫申上候処早速御聞済
 被成下難有仕合奉存候行事御取計之儀者
 決而相背申間敷候然ル上ハ向後万端
 之儀ニ付過言致候ハヽ村御一会被相除候とも
 御恨不申候尤も公用ニ者是迄通り
 私用之儀ニ者隣家江たり共足踏
 致間敷為後日詫書一札如件
              越畑村
                当人
   年号月日         組合
                親類
   ■■■■■■       世話人
   同村
   御若衆中様

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詫書一札之事 年欠 越畑・新井ハツエ家文書 129

   詫書一札之事
一此度御若衆中様惣代之御方挑灯之
 儀ニ付過取悪風相立候処被及御僉鑿
 私とも発言致吹聴ヘ相成諸書付披見
 被為致候処諸勘定等之儀聊も相違無之
 全以心得違ヘ一言之申訳も無御座候然し
 世話人相頼御詫申上候処早速御聞済
 被成下難有仕合奉存候以来急度為相慎
 向後行事御取計之儀決而相背
 申間敷候為念詫書一札如件

     越畑・新井ハツエ家文書 129.pdf

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詫書一札之事 年欠 越畑・新井ハツエ家文書 130

   詫書一札之事
一此度御若衆中様惣代之御方挑灯
 之儀ニ付過取之悪風相立候処被及御僉鑿
 候処私とも発言致吹聴ニ相成諸書付
 披見被為致候処諸勘定等之儀聊も
 相違無之全以心得違一言之申訳
 無御座候依之御世話人相頼御詫申上候処
 早速御聞届ケ被成下難有仕合奉存候
 已来急度相慎向後行事御取計之
 儀者決而相背間敷候為念詫書
 一札如件
   年号月日      当人
     幸次郎殿    親類
     政次郎殿    組合
     弁次郎殿    世話人
     磯右衛門殿
     為次郎殿
     房吉殿
     八五郎殿
     文次郎殿
     茂十郎殿

          越畑・新井ハツエ家文書 130.pdf

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詫書一札之事 年欠 越畑・新井ハツエ家文書 131

  詫書一札之事
一今般村方御若衆中様より吉田村田向挑灯
 出来割合取立等之儀ニ付過取風聞相立候処
 御一同様より段々御鑿僉【穿鑿カ】之上及御懸合諸書
 ニ付披見被為致候処諸勘定等之儀聊相
 違無御座候全以心得違私共不取留
 儀申御若衆中様を苗代ニ致発言仕候
 江陥リ種々御利解被仰聞先非後悔
 屈伏仕一言之申訳も無御座候依之
 御世話人相頼御詫申上候処早速御聞
 済被成下難有仕合ニ奉存候然ル上後向
 行事御取計御若衆中様御取計之儀
 決而相背申間敷候万端之儀ニ付過
 言致候ハヾ村御一会被相除候とも
 御恨不申候尤も公用ニ者是迄通り私
 用之儀ニ者隣家江たり共足踏致
 間敷候為後日詫書一札如件
    同村
    御若衆中様  越畑村
              当人
              組合
              親類

          越畑・新井ハツエ家文書 131.pdf

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詫書一札之事 年欠 越畑・新井ハツエ家文書 132

  詫書一札之事
一今般村方御若衆中様より吉田村回向挑灯出来
 割合取立等之儀ニ付過言風聞相立候処御一同様より
 段々御縁【穿カ】鑿之上ハ被及御懸合諸書付被見
 被為致候処諸勘定等之儀聊も相違無御座
 全以心得違私共不取留義申御若衆中様
 を苗代ニ致発言仕候陥リ種々御利解被仰
 聞先非後悔屈伏仕一言之申訳も無御座候
 依之御世話人相頼御詫申上候処早速御
 聞済被成下難有奉存候然ル上者向後
 行事御取計之義ハ決而相背申間敷候并ニ
 御若衆中様御取計候儀ニ付過言致候ハヽ村
 御一会被相除候とも御恨ミ不申候尤も公
 用ニ者是迄通リ私用之儀ニ者憐家江
 たりとも足踏致間敷候為後日詫書
 一札如件
              越畑村
   年号           当人
    月日          組合
    同村          親類
     御行事様       世話人
     御若衆様

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詫書一札之事 年欠 越畑・新井ハツエ家文書 133

    詫書一札之事
一今般村方御若衆中様吉田村田向灯提
 出来割合取立等之儀ニ付過後風聞相立候処
 御一同より段々被及御掛合候処私共不取留儀申
 御若衆中様ニ ニ致発言仕候■り種々
 御利解被仰聞先非後悔屈伏仕一言之
 申訳も無御座候 然シ世話人相頼御詫申上候処
 早速御聞済被成下難有仕合ニ奉存候 然ル上は
 向後万端之儀ニ付過言致し候ハハ村御一会
 被相除候共相恨ミ不申候 尤公用ニハ是迄通り
 私用之儀ニは隣家江たりとも足踏致間敷候
 為後日詫書一札如件
   年号
    月日         当人
               親類
               組合
               世話人

          越畑・新井ハツエ家文書 133.pdf

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差出し申詫書一札之事 年欠 越畑・新井ハツエ家文書 134

  差出し申詫書一札之事
一去月廿六日夜沖太郎殿宅江婦人泊リ合
 候処江罷出長咄し致し其侭翌日迄伏リ
 居リ候処御若衆中様より被及御穿鑿
 預リ婦人相かくまい置候向ニも被及御懸合
 候得とも右者全以私義左様之儀者決
 而無之候得共去霜月孫三郎宅ニ而御日待
 之砌リ右婦人与見苦敷躰も有之候得者
 何とも此度之儀も右躰の末レ始ニ被察候
 而も全一言之申分も無之恐入猶又御懸
 合ニ被及候砌リ夫々御気障リニ相成候義も
 夫々有之御申出候甚以無相済儀御若衆中
 様を侮リ苗代ニ致し候段右等之次第種々
 御利解被仰聞候処重々申分無之依之
 御世話人江取縋リ各々様辺江厚御詫申上候
 処早速御承知被成下楽奉存候然ル上者
 右等之儀者不及申万端相慎可申候
 尤此後右婦人ニ付御目障リニも相成義
 出来候節ハ如何様御取計被成下候共後悔
 仕間敷候為後日差出し申詫一札仍而如件

          越畑・新井ハツエ家文書 134.pdf

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2009年7月 5日 (日)

東照大権現遺訓 年欠 越畑・新井ハツエ家文書 202

  人の一生は重荷お負て遠き
道お行くがごとしいそぐべからず
ふ自由を常とおもわば不足なし
こころに望をこらば困窮したる
時を思ひたすべし堪忍は無事
長久のもとい可望わ敵とおもい勝
事ばかり知てまくる事おしら
されば害そのみにいたる
己を責て人をせむるな及ばさるは過たるにわまされり
  東照大権現遺訓

               越畑・新井ハツエ家文書 202.pdf

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2009年7月 4日 (土)

当月十一日神尾殿より親元江出状写 慶応四年(1868) 越畑・新井ハツエ家文書 220

  当月十一日神尾重郎殿より親元江出状写
一廿七日中田宿ニて合戦相始メ候処大村肥前守
 殿意切ニて官軍方大敗軍ニて死人手負
 余程ニ御座候、同処ニて藤堂藝州因州四
 家人数凡二千八百人余徳川浪人会津
 浪人勢ヲ始メ清風派新義派南部上
 杉之浪士都合二千人同日午ノ刻より戦ニ及
 折柄ニ風雨別心処官軍方向風ニて■ケ
 江鉄砲八拾挺打掛候処 会津方更ニ鉄
 砲ヲ不相用弐百人程ニて厳敷矢討取方
 立番之先手会津方ニて鹿伝造弐百人
 計リ面々長柄大身鑓ニて風雨烈鋪中ヲ
 藤堂家先陣江切込同家三百人計リ大将
 山田勘左衛門打死メ弐番手兼増打死藤
 堂仁右衛門馬上ニて逃口ヲ水府浪士内田
 新五郎与申人之矢ニ当リ落■ク次々まゆ
 べし 薩州より嶋津重三郎同主水倉石
 五左衛門ヲ始メ九百人程壱度ニ押掛リ候処
 徳川勢強リ殊ニ小高キ所ニて烈敷矢鉢立
 官軍勢嶋津重三郎 倉石五左衛門始メ重
 役之者九百人打死手負千人計リ後陣
  備致し 因州方不残逃退リ徳川浪士水戸
  浪士追打致し大勢打取 又ハ生捕致し大砲
  ニ挺馬命籍命分捕いたし候未ノ中刻戦
  終リ是迄風雨烈鋪も大キニ御座候 大キニ静
  相成候 此方ニて手負三拾人死ス 討死ニ
  大ニ御座候 乍燐私方働左衛門方薄手も
  負 御安心被成可上  猶追而可申上候
   慶応四歳           以上
    辰 四月日

   口上
一下総国市川宿ニて四月三日朝六ツ時より備前
 勢先陣ニて戦ニ相成備前勢破軍市川不残
 焼失仕候 船橋漁師より町山含海神迄ニ相
 焼申候、又鎌ヶ谷村ニて同日九ツ時薩州勢
 破軍いたし八幡宿ニて黒田勢大軍ニて
 三平組与戦い前小人数故敗軍いたし候
 より処中宿ニ能在 勢押出し大合戦ニ相成
 黒田勢より大敗軍ニ相成またまた本口村ニて黒田勢
 与戦い相成処山々村浅間山与リ三平組より
 六百人押出し黒田勢またまた敗軍ニ相成四百人
 余り打死ニ相成御座候、薩州方由同日夜船橋山口村
 ニて薩州勢戦いニ相成薩州方大破軍次々
 長州勢船橋迄出軍 三平組舟橋を引下て
 勝拝支野村江帰陣いたし薩州行徳
 四ヶ■江引取相休ミ申候
   慶応四年
    辰四月日

               越畑・新井ハツエ家文書 220.pdf

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2009年7月 3日 (金)

永代売渡し申田地手形之事 天和二年(1682) 越畑・市川昭二家文書 1

  永代売渡し申田地手形之事
一戌ノ御年貢詰り何共可仕様無御座候ニ付而十三間
 下田九畝拾三歩之所金子合弐両請取
 永代に賣渡し申所実正也於此田地何方
 少も構無御座候自然かまい申者御座候ハヽ
 我々罷出申分可仕候少も貴殿御苦労
 ニかけ申間敷候為後日仍而如件
              地主 平右衛門○印
 天和弐年戌ノ極月廿八日  證人 勘右衛門○印
      雪部殿参    同  権兵衛○印

               越畑・市川昭二家文書 1.pdf

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永代売渡シ申田地手形之事 天和三年(1683) 越畑・市川昭二家文書 2

  永代売渡シ申田地手形之事
一亥ノ御年貢詰リ何共可仕様無御座候ニ付而
 本田谷下田合五畝六歩なべ谷下畑合四畝
 拾弐歩田畑合九畝拾八歩金子合三両
 請取永代売渡シ申候処実正也於比地
 何方より少構無御座候自然かまい申者
 御座候ハヽ我罷出急度申分可仕候
 少も貴殿御苦労ニかけ申間敷候為
 後日永代手形仍而如件
  天和三年亥ノ極月廿八日
             地主 勘右衛門
             證人 権兵衛
    雪部殿

          越畑・市川昭二家文書 2.pdf

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永代売渡し申畠屋敷山之事 元禄二年(1689) 越畑・市川昭二家文書 3

  永代売渡し申畠屋敷山之事
一下々畑合壱反歩屋敷山ニ金子壱両三分ニ
 永代売渡し申所実正也於此田地
 脇より構無御座候若構申者御座候者
 我々罷出急度申分可仕候為後日
 手形仍而如件
元禄弐年巳ノ十一月廿九日
           地売主 所右衛門○印
           證人  次右衛門○印
           同   弥兵衛
           同   勘右衛門
  勘三郎殿

          越畑・市川昭二家文書 3.pdf

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永代売渡し申畑屋敷山之事 元禄二年(1689) 越畑・市川昭二家文書 4

  永代売渡し申畑屋敷山之事
一下々畑合壱反歩屋敷山金子壱両三分ニ
 永代売渡し申處実正也於此田地脇より
 構無御座候若構申者御座候ハヽ我々罷出
 急度申分可仕候為後日手形仍而
 如件
  元禄二年巳ノ十一月廿九日
            地売主 所右衛門
            證人  次右衛門
            〃   弥兵衛
            〃   勘右衛門
   勘三郎殿

          越畑・市川昭二家文書 4.pdf

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売渡し申田地手形之事 元禄三年(1690) 越畑・市川昭二家文書 5

  売渡し申田地手形之事
一ますたるい下田六畝拾七歩畑合弐反歩
 田畑合弐反六畝拾七歩金子合弐両三分
 代弐百文ニ売渡し申処実正也於此地
 脇より少も構無御座候自然かまい御座
 候者我々罷出申分可仕候右相定之
 通子々孫々ニ至迄此地少かまい無
 御座候為後日手形仍而如件

  元禄三年午ノ九月廿五日
             地主 江戸 傳六○印
             證人 越畑 市左衛門○印
             同     次兵衛
             同     九左衛門
             同     孫兵衛
             同     所右衛門○印
             同     次右衛門
   勘三郎殿□□

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相定申譲地證文之事 明和六年(1769) 越畑・市川昭二家文書 6

  相定申譲地證文之事
    中田七畝弐歩  名所 拾三間
一右者由緒御座候ニ付為祝金与金子五両慥ニ受納
 申所実正也然上者御年貢諸役御勤永々御
 取持可被成候於此田ニ親類縁者子々孫々ニ至迄
 少茂構無御座候為後日譲地證文仍而如件
  明和六年丑ノ八月
           越畑村
              譲主 利八○印
              證人 市左衛門○印
              同  長左衛門○印
              組頭 孫兵衛○印
              同  常右衛門○印
              名主 嘉兵衛○印
   同村
    小三郎殿

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相定申質地證文之事 享和二年(1802) 越畑・市川昭二家文書 7

   相定申質地證文之事
  下々畑四畝■歩         松原
一■儀御年貢差詰リ前書之地所質地相渡し
 金壱両只今請取申所実正也然上者御年
 貢諸役貴殿方ニ而御勤御手作可被成候於此地
 脇より少茂構無御座候年季之儀ハ当戌年より来ル
 子年迄十五年季ニ相定申候本金不残返済仕候ハヽ
 何ヶ年過候共地所御返し可被下候為後日質地證文
 仍而如件
 但シ請出し候節ハ壱両ト銭
 十八貫八百文ニ而請返し可申候
  享和二年
    戌十二月日
          越畑村地主 所右衛門○印
          證人    忠左衛門○印
          組頭    長左衛門○印
          同     勝右衛門○印
          同     平左衛門○印
          名主    市郎右衛門○印
          当番    平右衛門○印
    小三郎殿

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質地證文之事 天保九年(1838) 越畑・市川昭二家文書 8

  質地證文之事
 羽太様御分
一壱反五歩
一四反拾七歩
一去ル酉ノ御年貢ニ差詰り右者我等方江
 質地ニ取置申候地所質物ニ相渡し金子
 五両借用申処実正也然ル上ハ御年貢
 諸役等貴殿方ニ而御勤御手作可被成候
 但し年季之義ハ金子有合相定申候何時
 成共本金返済仕候ハヾ右證文共御返し
 可被下候且又此田ニおゐて先判書入等決而無御座候
 若又脇より難渋申者御座候ハヽ我等共
 立合急度埒明貴殿御苦労相掛
 申間敷候為後日質地證文仮而如件
  天保九年
   戌三月日
           地主 浅右衛門○印
           證人 常右衛門○印
           名主 関蔵○印
   同村
    金兵衛殿

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書添證文之事 天保四年(1833) 越畑・市川昭二家文書 9

  書添證文之事
一当已御先納ニ差詰り
 我等持分本證文預り只今
 金六両慥ニ借用申処
 実正ニ御座候由本證文ニ■■
 ■候筋者当秋中■■候書
 添證文仍而如件
 天保四癸歳
 正月日
          越畑村質主
              善兵衛○印
   同村 金兵衛殿

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2009年7月 2日 (木)

書入申證文之事 明治三年(1870) 越畑・市川昭二家文書 16

  書入申證文之事
元酒井御分
一下畑七畝歩   字平ニ而
 右者要用ニ付貴殿江御無心申入書面之
 地所書入ニ差出し金子七両三分也慥借用
 申処実正明白也但し返済之儀来ル当秋
 出米ニ而返済可申候若し返済兼候ハヽ
 加印之者引請書入之地所脇外より
 売渡し候共来ル十一月限り元利共急度
 返金可申候書入證文仍而如件
  明治三午年四月日  越畑村
             地主 太郎左衛門○印
    午八月日     證人 茂左衛門○印
    書面之内壱分入
      同村
       彦次郎殿

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差出し申開発一ヶ所 明治五年(1872) 越畑・市川昭二家文書 18

  差出し申開発一ヶ所
右者御貴殿山當三月開発仕
候処実正ニ御座候尤年季之
儀者當申三月より来ル亥之三月迄
六毛取之間借用仕年季明
候ハヽ右之地所無相違御返
地可仕候為後日差出申一札仍而如件
        吉田村
 明治五年     山越勇八○印
  申三月日
   越畑村
     市川彦右衛門殿

     越畑・市川昭二家文書 18.pdf

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券証預り証之事 明治七年(1874) 越畑・市川昭二家文書 19

  券証預り証之事
 武国 比企郡上横田村
   八番    字くし引前
一田八畝歩券証壱通   弥惣兵衛
 右者地番證共質地ニ預り申處
 実確也但し質代金返済相成候上者
 速ニ御返し可申候若し又地番証
 分失致し候節ハ私方ニ而御願下ヶ
 御返し可申候也
  明治七年
   戌十月日
        越畑村預り主
            市川彦次郎印
          證人
            福嶋喜兵衛
    横田村
      細井弥惣兵衛殿

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2009年7月 1日 (水)

妙縁寺井鑿発起の事 宝暦元年(1751) 越畑・久保寅太郎家文書 1

妙縁寺井鑿発起の事 宝暦元年(1751) 越畑・久保寅太郎家文書 1
   本庄中の郷
 妙縁寺
 井鑿発起の事
余数年富山泥水尓して仏霊に饗
するに快ら須依之井を鑿らん事を願ふ
尓此年不幸尓逢て悲儀尓多へ須墓尓
参りて誹人其角の古句を感する尓深き
事あり故尓井を堀りて夜鶴井と銘せんと
欲寸然りといへとも微力にして及ハ須少
しく其基を附して事を同且能衆尓
告希更尓助力を進め与ふもの也今より
鑿井の切越同して霊仏尓供し
祖先の孝をなさし免給ハハ顕世も
又繁栄ならんと此趣を願述須
  夜の鶴古尓
  婦とんもか希ら連須
  意勺中尓あ里
 宝暦元未十二月十六日
      発起人 大塚七郎兵衛包好誌

翌申
六月四日井既落成懸額ヲ者アリ
表ニ云
 夜鶴井
妙縁精舎尓あら多尓井を
鑿つ盤大塚包好の■し也
そ能水子のつ年なら須して
冬阿多々可尓夏涼し是志可し
な可ら妙の一字による奈るへし
 本覚や暑さを志らぬ寺清水  宗覚
その功徳なる物其他善
なるもの堂く尓すく奈可ら須
大塚奈尓可し井を以て
身をな須又大意奈る物也
を盤夜鶴井能記尓在
 冷水ハ隺乃井尓くめ中の郷  九皐
前に我於もふ志願年月を暦日尓
及ハハ鑿井の功を奈しなんものをと
此事を斗る然る尓五月尓して清水
の井を就春事を得多り又添ゆるに
誹哲の佳吟を顆して是を■賜
するものハ米中紀逸能墨痕なり
これを妙縁堂上尓かくるもの盤
宗覚老人の挙奈り殊に抃躍
歓喜の至り尓堪へ須是偏尓且法
の妙謝する尓忙し
 井戸綱の先を引多り寺清水
   太郎川藤藍峯謹稿

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勝福寺除地の事 天保三年(1832) 越畑・久保寅太郎家文書 6

   武州榛沢郡針ヶ谷村
    真義真言宗仏光寺末
     同郡原村
      山地蔵院 勝福寺
右勝福寺儀御除地有之候得共
高反別無御座候間書上不申候
年代相知不申候間
御公儀様御除地共領主地頭より共
相知不申候右申上候通相違
無御座候以上
      勝福寺無住ニ付
  天保三辰年十月 名主吉左衛門
  御地頭所様
   御役人中様

     越畑・久保寅太郎家文書 6.pdf

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原村勝福寺御除地書上帳 天保三年(1832) 越畑・久保寅太郎家文書 7

   天保三辰年
原村勝福寺御除地書上帳
   七月

勝福寺儀御除地有之候得共
高反別無御座候間書上不申候此段
御届申上候以上
   辰七月   原村
            勝福寺
             無住ニ付
         田中村
            應正寺印
   針ヶ谷
    仏光寺様
     御役僧中
右者勝福寺無住ニ付兼代應正寺より
書上申候此段御届奉申上候以上
  天保三辰年七月 武州榛沢郡原村
           名主 吉左衛門
 御地頭所様
 御役人中様

          越畑・久保寅太郎家文書 7.pdf

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覚 天保三年(1832) 越畑・久保寅太郎家文書 8

   覚
武州榛沢郡長田村
 惣高合弐百六拾五石八斗
  内
高六拾石七斗四升  松平大和守様
                御領分
高七拾石六升    佐久間和三郎様
                御知行所
高六拾四石     吉田金次郎様
                御知行所
高七拾壱石     当知行所
右御四給惣高合而弐百六拾五石八斗
右之通リ御相給名主 江問合相改奉差上候処
相違無御座候以上    御知行所
  天保三壬辰年正月    長田村
                名主 忠吉
御知行所様
   御役人中様

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