杉山・杉山貞夫家文書

2009年2月26日 (木)

回状控 年欠 杉山・杉山貞夫家文書 1

   回状控
加判之列      青山下野守
大阪
御城代       松平和泉守
寺社奉行      松山伊賀守
右者去辰十二月中被 仰付候間
各可得其意候
去卯年中御府内修験市中住居
停止被 仰付為替地浅草并下渋谷
両所江地所被下置尤觸頭之儀は
浅草江被仰付候ニ付当觸頭ニ役宅
之儀者右場所江早々致普請御
用向無差支相勤候右ニ付実応然
儀存外物入有之難渋ニ付当
御室霞下中江助成之儀先例
之通願出候間聞済候間霞下一同江
右之段御達申候依而当三月纏
実応然廻村致候間各助成相頼候
猶委細者本地廻村之節可申述候
右之趣各被其意名下致請
印早々順達其霞下中江不洩様
可被相觸候以上
別餘口申入候勧化物之儀者元
飯田町大行院勤役中之横位ニ
別帳面認メ相廻し候間当十五日
四ツ時一同持参可有之候尤無拠
地■■其隣地江相頼助成物
無相違可被差出候黒田山霞下者
一同廻村有之候得共当方ハ相断
候間左ニ御承知可被成候且無沙汰
当日不参ニ而ハ一同差支候間此段
別而一同江御達申候以上
巳       篠場
 四月五日    長命寺印

  覚
一金壱分也    梅峯寺
一金壱分也    持正印
一金弐朱也    大学院
一金弐朱也    大蔵院
一同       泉学院
一同       休蔵院
一同       南光院

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請取 年欠 杉山・杉山貞夫家文書 2

  記
一金三円  此誂箪笥
      鉄もの壱口
      かふ小錠付
      鋲共
      紋所高ノ羽
  内弐拾銭請取
 差引〆金弐円
     八拾銭
 右之通正請取候也
  十二月十日  堀右衛門
   大倉様

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祭神御事歴書 年欠 杉山・杉山貞夫家文書 3

   祭神御事歴書
       埼玉県比企郡七郷村大字杉山
             村社 八宮神社

   ○素盞鳴尊
素盞鳴尊は伊弉諾伊弉冉二神の御子にして天照大御神
には御同胞また大己貴命には御祖にておはしますその御名
を古事記には建速須佐之男命と記しまた日本書紀には
神素盞鳴尊とも速素盞鳴尊とも記せりこは全くこの
神の御性質によりて御名は負ひ給しものと見えたりま
づ素盞鳴の素盞とは進む意の語なりこの神御心御
行為ともに何事にも勇み進みて他の諸神と異なり給ひし
ところおわしましゝよりかく申し奉りしものなりまた素盞鳴
の鳴は借り字にして古事記に須佐之男と記せる如く男の
義なりかの事解男速玉之男などの御名の男と同じく称へて
云へる語なりまた神素盞鳴尊とも速素盞鳴尊とも
建速素盞鳴尊とも申すその神といふは称へて申す
語なるは言ふまでもなく速といひ建速といふはいづれも此の
神の烈しく猛く敏活く勇しくおはしましゝを称へて云へる
名なりはじめ伊弉諾伊弉冉の二神天照大御神を
生み給ひ次に月読尊を生み給ひ次にこの素盞鳴尊
を生み給へり伊弉諾神大に喜び給ひて汝天照大
御神は高天原を知らせ汝月読尊は夜之食国を知
らせ汝素盞鳴尊は海原を知らせと宣り別ちてすなはち
三神の分治を定め給ひしがこの素盞鳴尊は神性
勇悍にておはしましゝ故にや勇猛の行も少からずまた常に
泣哭して政を見給はざりしかば悪神時を得萬妖起り國
土人民漸く安らかなること能はざりき是に於いて伊弉諾
伊弉冉の二神尊がその治むべきを治めざるを思ひ給いて之を
責めて根國(根之堅洲國とも云ふ)に罷り往ねとのたまひて遂に
素盞鳴尊をば神逐ひに逐ひ給ふ事となりぬ既にして
素盞鳴尊根國に下らむとし給ふに臨み請してのたまはく
吾れ今命を奉じて根國に往かむとす願はくは去るに臨んで
高天原に詣り一たび天照大御神に謁し奉りて永訣
するを得んと伊弉諾神乃ちえを許し給ひしかば素盞鳴
尊直に高天原に詣り給ふ是の時山川悉く動み國土
皆震りければ大御神これを聞し召してたゞ事にあらじと
驚かせ給ひ素盞鳴尊の上り来ます故は必ず善き心には
あらじ必ず我が國を奪わむと思ほすにこそとてやがて御
髪を解きて髻に巻き右左の御髻右左の御手また御
鬘にも八坂瓊之五百箇之御統玉を纏き付け背には
千人の靭を負ひ臂には稜威之高鞆高く取り附け弓
弭振り起て剱柄取りしばり堅庭をば向股に踏みならして
稜威の雄詰踏みたけびて素盞鳴尊をまち受けてなどし
も此くは来ませるぞと問ひ給ふ素盞鳴尊對へて申したま
はく僕もとより邪き心はなしたゝ大御神の大御命もて
根國妣國に往ねとありけるに由り罷り往なむとする
様をば一度申し聞えむと思ひてこそ此くは参り来つるなれ
いかで異しき心をは僕が抱き奉らむやと申し給ひぬされど
御振舞漸く荒々しくかくて種々の天津罪などを犯し
給ひしかば天照大御神遂に御愠を発し給ひて天石窟に
隠れ給ひ盤戸さし固めてまた出で給わざるに至りぬ是に
於いて天地晦冥妖魔跋扈し上下其堵に安ずる
こと能わず八百萬の神々これを憂へこれを歎き乃ち
天安河原に相会し相議りて禮を整へ儀を備へ楽
を作して大御神を祀りなごめ奉りて遂に幸に能く
大御神をば窟戸より請じ出し奉る事を得たりしが
事の是に至りし所以は全く素盞鳴尊の御振舞の
暴々しかりしに由るものなりとて此の後諸神は罪過を
素盞鳴尊に帰せて科するに千座置戸(重き贖物の義)
を以てしまた尊の髪を切り手足の爪などをも抜きとり
てその罪を祓い贖はしめ神逐ひに逐ひて遂に尊
をして高天原を去らしめ奉りき素盞鳴尊高天原を
去り給ひて後出雲國に降り簸川上の地に到り給ふ
たまたま河上に泣哭の聲聞えしかば尊声を尋ねて
往き見給ふに翁媼二人の一少女をその間に置きてさめ
ざめと泣けるが有りたり尊怪みて汝等は何人にしてまた
何故に此くは悲み泣くぞと問ひ給ふに二人對へて申
さく吾れらは是れ國神にして名は脚摩乳(足名椎)
手摩乳(手名椎)と申すまた是なるは我れ等が愛女にし
て名は稲田姫とぞ申す我れ等さきに八人の女児を有てりし
に八岐大蛇と云う者年毎に来りて之を奪い去り今また
將に来りてこの一小女児をも奪ひ去らむとす故に泣き悲める
なりと尊これを聞き給ひていとど憐憫の情に堪えさせ給
はずこの女果して汝が児ならむには吾れに奉らむや如何に
われ亦別に策有りとのたまふ脚摩乳手摩乳尊の天照大
御神の御弟にましますをきゝ大に喜びて直に稲田姫を
奉るべき由を諾し奉れり是に於いて素盞鳴尊まづ
翁媼に命して八塩折の酒を醸さしめその周圍に垣
を作り続してこれに八個の門口を設けまた門毎に假
庪を作りてこゝに酒槽を置きその醸せる八塩折の酒
をばそれぞれ酒槽に満てゝ八岐大蛇の到るを待たしめ給ふ
既にして素盞鳴尊の謀り設け給ひしに違はず八岐
大蛇果して来りしがかの酒槽の芳醇に心奪はれて鯨
飲泥酔して遂に深き眠り睡に陥りぬ尊これを見そなわし
て機こそ好けれと直にその佩かせる十握剱を抜き放
ちて八岐大蛇を寸断し給ひきこの際に獲給へる宝
剱は実に都牟刈之大刀または天叢雲剱と称し奉
る霊剱にして尊はその霊剱なるを見てこれ自ら私
すべきものに非ずとて後にこれを天照大御神に献り給
へりこれ実に後に天照大御神より天孫瓊々杵尊
に授け給ひし三種の神宝の中の御剱にておわしますなり
素盞鳴尊は弱きを憐みて暴者を挫き義をみていさ
さかも躊躇し給ふ事なき勇猛剛毅の御心はげに
勇者の鑑ともたゝえ奉るべきのみならず其の謀り給へる計策
のいと巧みなるげにも智仁勇の三徳をば正しく兼ね備へ給へる
大神にておはします事この八岐大蛇誅伐の一事によりても明かに
知り奉ることを得るこそいと尊けれさても素盞鳴尊は八
岐大蛇を平げ給ひて後遂に稲田姫命を娶り給ひけるが
その共棲し給ふべき宮居を建つべき地を求めて出雲の須
賀の地に到り給ひしとき吾が心清清しくなりぬとてやがて
其の地に宮居を興して同棲し給へり此の時雲の立ち騰るを
見そなわして尊の詠み給へる歌
 八雲起つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作る其の八重垣を
この三十一文字の御歌はわが國和歌の祖とも祖と称へて
古今和歌集の序にも「この歌天地の開け始まりける時より
出で来にけり久方の天にしては下照姫にはじまり荒金の地
にしては須佐之雄の尊よりぞ起りける」と記せり実にや
この神は勇悍麁暴一途の神にてはおはしまさゞりけり勇
あり仁あり智あるが上に優雅愛美の情にも富ませ給ひ
てやさしき御情をばかくも三十一文字に詠み出でさせ給
ひし事げに仰ぎ奉るべき御徳ならずや其の後素盞鳴
尊は御子五十猛命を率いて嘗て新羅國に渡りその
曽尸茂利の處に居給ひしことありきと云ふ尊また韓郷
之島は金銀あり吾が児の御らする國に浮宝(舩舶)
あらずはよからじと云乃ち杉櫲檜等の造船の材となす
べきものは勿論柀檜その他八十木種をもたらし帰り来
給ひてこれを我が國の諸方に播殖しよりて大に殖林の功
を成し給へりされば今に至るまで紀伊の熊野にありては
素盞鳴尊をば家都御子神の御名においていつき祀れり
尊の御子孫には御神徳いや高くいや尊き大年神宇
迦之御魂神須勢理毘賣神大己貴命等おわしましき
尚素盞鳴尊をいはい祭れる神社諸國にいと多し
今も官幣の奠に預り給ふ社のみに就きていふも当武
蔵國の官幣大社氷川神社はこの素盞鳴尊および
奇稲田姫命大己貴命をいはい祭りまた官幣中社金鑚
神社は天照大御神と素盞鳴尊とをいはい祭りまた京都
なる官幣中社八阪神社も素盞鳴尊稲田姫命を祭り
出雲なる国幣中社熊野神社および國幣小社日ノ御崎神
社もこの素盞鳴尊を祭れり但し熊野神社にてはこの
尊をば神祖熊野大神櫛御気野命と申していつき
祀りまた紀伊なる國幣中社熊野ニ坐ス神社にても家都御子
神の御名においてこの尊をばいつき祀れること前に云へるが如し又以て
その御徳の高くして盛んなる程を察し奉るべきなり
 古事記、日本書記、延喜式、古事記伝、古事類苑

   大己貴命
大己貴命は亦の御名を大國主神葦
原醜男神八千戈神大國玉神顕國
玉神とも申し奉れり其の御系統
につきては古事記及び日本書記の一書
の所伝と日本書紀本書の所伝とに
相違ありて前者は大己貴命を以て
素盞鳴尊の六世の御孫なりとなし
後者は素盞鳴尊の御児なりと記せり
この神異母の兄弟多くおはしましき
これは八十神といふ然も皆この國を通りて
これを大己貴命の経営に委ね奉りたま
へりこれ全くこの神の威徳寛仁におはし
まして且つ勇武他に勝れさせ給
へりしによらずんばあらずはしめ大己貴命
八十神たちに憎まれ給ひて殆ど危き程
の事に遭ひたまひしことも廔なりければ
御母刺國若媛命これを憐れみ給
ひて紀ノ國なる大屋毘古神の許に行か
しめむとし給ひしかど又妨げられしかば
遂に根ノ國なる素盞鳴尊の許に至り
給いぬこゝに素盞鳴尊の御女須
勢理媛命おはしまして相見て夫婦と
なり給えり素盞鳴尊またこの神を艱
苦に試みたまふ事数度の後告げのたま
はらし汝はこの持てる生太刀生弓矢を以て
八十神を追ひ伏せ追ひ拂ひて大國主
神となれまた顕國王神となれ而し
てまた我が女須勢理媛を嫡妻として
宇迦山の山本に宮居たてゝ其處に居れと
のたまひき是に於いて大己貴命は素盞
鳴尊の御教のまにまにこの持たせる
生太刀生弓矢を持ちて八十神たちをば
或は坂の御尾に追ひ伏せ或は河の瀬
に追ひ撥ひてこれを服し其の他悉く
不逞の徒を平げて國中を定めこれ
より愈々國土経営の事に心を凝し
給ひり即ち水利を通ずとては川を
浚ひ溝を掘り田畝を闢くとては堤
を築き丘を拓きたまふなど頗る艱苦を嘗
めたまひしがこの出雲の御穂ノ崎に到
りたまひし時舟に乗りて海上より寄
り来ませる神あり久延毘古といふもの
之を見てこは神皇産霊神の御子
なる少彦名命なりと告げしかば大己
貴命大によろこびこれより少彦名命と
兄弟となりて互に力を戮せ心を一にして
この葦原ノ中国の経営に盡瘁し
給ひぬかくて二神は力を盡して國作り
したまひしのみならず顕見蒼生および
畜産の為めにこの病を療むる法を定め又
鳥獣昆虫の穴異を攘はむが為にこの
禁厭の法を■■に定め給ひしかば衆庶
悉く其の恩頼を蒙り遠近この神の
徳に服従せざるはなし後世わが國の
医術禁厭の法を学ぶものこの二神を
以て祖神となすは実にこれに縁るものとす
さて少彦名命はこの後如何なる故あり
けむ熊野御﨑より常世國に渡り
たまひぬそもそもこの大己貴命のかく國
家経営の大業を成したまひしはこれ
全く遠つ御祖伊弉諾伊弉冉二神
の大業を継承したまひしものにして
また実に御祖素盞鳴尊の遺業を全う
せられたるものなりと謂はざるべからずそ
の神功威烈なることげに仰ぎ尊ぶべきなり
さればその御功を称へ奉りて或は國
造大神とも或はまた天ノ下造候べく候大神
命とも申し奉りしのみならずこの神
葦原の中國の主とも主と定まり居給ひて
天の下を主はきましましかばやがて又其の
御名をば大國主命とも負ひ給へりまた
この神を顕国王神とも大國主神
とも称へ奉れるもこの國土を経営したまひ
し大なる功徳ある神にましますに由り
また八千戈神と称へ奉れるはこの神の
武き御稜威の八千と多くの矛を持
てるが如き意を稱えし御名なるべし
また葦原醜男神と申すもこの神の勇
猛くましますを稱めて畏し懼れまつれる
より申之奉りし御名なるべしこの大
己貴命の御子凡百八十一神ましまし候
由日本書紀に記せり中につきて事
代主命建御名方命味耜高彦根命
下照姫命賀夜奈流美命など最も
著われさせ給へり既にして高天原
にありては天忍穂耳尊天照大御
神の日嗣を受け継ぎましましが
天照大御神高皇産霊神勅してのた
まわく芦原ノ中國は我が子孫の君主たる
べき地なりと宣ひてのち葦原ノ中國に天忍
穂耳尊を降したまわむとすされど大己
貴命の勢力当時甚だ盛なりしかば
先づその國情を視察せしめんとてはじ
めに天穂日命を遣し給ひし天
穂日命大己貴命の許に至りて久しく
留りて復命するに及ばずよりて其の子大
背領三熊の大人を遺し給ひしかどまた
要領を得ず乃ちまた天推彦命を降
し遣されしに天推彦命却りて大己貴
命の御女下照姫命を娶りておのれ葦
原ノ中國を馭めむと思へり而して天推
彦命は遂に天ツ神の反失によりて誅
せられぬ是に於いて天ツ神また諸神
と議し給ひて經津主武甕槌の二神
を降し遣したまう二神乃降りて出雲
の伊那佐の小濱に至り大己貴命に勅を
伝へていわく天照大御神高皇霊神神
胤を降してこの國に君臨せしめ給わむと
欲し先づ我等二人を遣わして駈除
平定の任に当らしめらる今汝の心果して
如何にそまさにこの國を取り奉るべきや
否やと大己貴命対えてのたまわく當に我
が子事代主命に問ひて然して後に
報答せむとす時に當りて事代主命出
雲の三穂の崎に在りて船を浮かべて釣
魚の楽を行ひ居たまひしかば乃ち
熊野諸手船に使者稲背脛を戴き
て遣わし告ぐるに天ツ神の勅を以てす事
代主命使者に語り告げ給ひけるは
今天ツ神の詔命既にかくの如し我
が父よろしく命を奉じて此の國土を遜
り奉るべきなり我れはた何ぞ命に違
ひまつる可けむやとて因りて海の中に八重蒼
柴籬を造りて船枻を踏んで遜りたまひ
ぬ然るにこの時建御名方命のみは詔命
に抗して二神と争ひ給ひしが力屈して
科野の洲羽(信濃國諏訪)に奔り給
へり武甕槌命追ひかけて之に迫りたまひし
かば建御名方命遂に屈し獻國の
議に従ひたまへり是において大己貴命
二神に報へてのたまはく我が御子かく既に
遜り奉りぬ我れま如何でか遜り奉らざらんや
今若し我れにして天ッ神の詔命に抗せむ
か國中の諸神悉く皆天ッ神の詔命に
抗せむ今我れ詔命のまにまに此の國土を遜
り奉らむか誰かまた敢えて順はざるもの有ら
むとて乃ちその國土平定の際に用ひ給ひし
廣矛をば經津主武甕槌の二神に授け
われ曩にこの矛を以て治功有りき天孫
もし此の矛を用いて國を治め給はヾ必ず
當に平安ならむ我れはこれより百不足
八十坰手に隠りなむ而してわが児ども百八十
神に八重事代主神神の御尾前となりて
仕え奉らば一人として命に違ふ者あらじとて
乃ちいさぎよく隠退し給へり是に於いて
高皇産霊神大己貴命の為めに
新宮を杵築に興して結構の宏壯を
極めしめまたその御女三穂津姫命を配して
大己貴命の御妃となし奉りまた汝が祭
祀を主らむ者は天穂日命なりと宣ひて
命をして永く大己貴命の杵築宮(また
天日隔宮ともいへり)に奉仕せしめたまへり大己
貴命天神の聖旨をかしこみて報へ申
してのたまわく天神の勅教慇懃如此
敢不従命乎吾所治顕露事皇孫
當治吾将ニ退治幽事とかくて是れ
より大己貴命は永くこの杵築宮に鎮
り給ふ事となりぬこの杵築宮は即ち今
も出雲國杵築に鎮座まします出
雲大社にして天穂日命およびその御子
天夷鳥命の神裔なり出雲國造が
世に此の大社に奉仕して以て数千戴の
後に及べるは全く縁由有るに基づくもの
なりとすかく大己貴命の譲國退隠
の事ありて後いよいよ天忍穂耳尊の御
子瓊瓊杵尊即ち天孫の降臨を見
るに至りしものなり然ればこの大己貴命
の献國退譲の儀は我が神代史中に
於ける極めて重大なる出来事なりしにて
皇位萬世に先臨したまふ事実は
厳乎として是の時に定まり乃ち建國の
大詔の煥発となり天孫の降臨となりて
皇極國基こゝに全く定まりたるものなり
而して是の際において大己貴命が一意
恭順を体して敢へてその分を乱り給ふ
ことなかりしは全く其の大義名分を辨
し給ふことの極めて明確なりしに因らずん
はあらずされば後世の者これによりて愈々益々
我が皇位の無窮に神聖にして且つ
尊厳なるを仰ぎまた此の神の巧勲威
徳の萬古に尽きざるを仰ぎ奉るべきなり
この大己貴命の御名をば大穴牟遅神
とも大汝命とも大奈牟智神とも大穴
持神とも大奈母智命とも種々に記し
奉りなお又大己貴命の和魂をば大物
主神または大物主櫛龍王命とも
申すさてこの神をいはひ祀れる社はその数
極めて多しその今も官幣の奠に預り
たまふ大社のみにても出雲大社氷川神社
大神神社大和神社台湾神社札
幌神社樺太神社(以上官幣大社)をはじ
めとしてその数十余社の多きに及ぶ其
他諸國に存する大中小の神社頗る多し
本縣下にても郷社玉敷神社同□□王伊
波比神社同久伊豆神社には何れも
この大神を祭り縣社秩父神社郷社
氷川女体神社にはその主□□と合せ祀
れり亦以てこの神の威徳をうかヾひ奉るべきなり
  古事記 日本書紀 播磨風土記 古事記
  伝 延喜式祝詞講義 日本書通釋

   稲田姫命
稲田姫命この神の御名はまた櫛名田
比売とも奇稲田姫とも記し奉れり
稲田姫命は出雲国の國神なる脚摩乳
(足名椎)および手摩乳(手名椎)の命の
御子におはして後に素盞鳴尊の妃となり
給ひて八島士奴美神を生み給ひまた大己
貴命の母神とも六世の祖神とも伝へたり
はじめ素盞鳴尊天より降りて出雲國
に到り簸川上の地に往き給ひし時川上
啼哭の声あり声を尋ねて往き給
ひしに翁媼の一少女をその中間に置きて
さめざめと哭くを見尊あやしみて汝等は
誰人にしてまた何故にかくは悲み泣けるぞ
と問ひ給ひしに二人対へて申さく吾
はこれ國神にして脚摩乳といひ吾が
妻を手摩乳といひまた是なる少女
はわれらが愛女にして名を竒稲田姫と
申す吾が女児さきに八人ありしに八岐
大蛇といふもの年毎に来りて之を奪ひ去
り今また将に来りて此の一女児をも奪ひ
去らむとす故に泣き悲めるなりと素盞
鳴尊これをきゝて宣はく是の女汝の児
ならば我れに奉らむや如何にと脚摩
乳對へて恐けれど未だ御名を知らずと
申しゝかば尊告げて宣はくわれは是れ
天照大御神の皇弟にして今天より
降れる者なりと翁媼両人これをきゝ
て大にかしこみ直にその女を上つる事を約し
奉れり素盞鳴尊乃ち二人に命じて
八塩折りの酒を醸さしめ其の周囲に垣を作
り垣に八つの門口を設け門毎に假床を作
りこゝに酒船を置きその醸せる八塩折の
酒を酒船に満て以て八岐大蛇を俟つ既にし
て八岐大蛇果して来りしが酒槽の芳醇に
心奪われて鯨飲泥酔遂に睡に陥つ素
盞鳴尊乃ちその佩かせる十握劔を抜きて
八岐大蛇を寸断し給へりこの時尊の八岐大
蛇を殺して得給へる宝劔を都牟刈之大刀
ともまた天叢雲劔ともいふ尊その霊劔な
るを見後これを天照大御神に献し給
へりかくて素盞鳴尊は八岐大蛇を平
げ給ひし後遂に奇稲田姫命を娶り
給ひしがその宮居を建てゝ共棲し給ふべ
き地を求めて出雲の須賀といふ地に到り
給ひしとき尊吾れ此の地に来りて心清しく
なりぬとのたまひてやがて其の地に宮居
を興して同棲したまへり尊の須賀宮
を作り給ひし時その地より雲の立ち騰るを
見そなわして詠みたまへる「八雲起つ出
雲八重垣妻ごみに八重垣つくるその八重垣
を」といふ歌はわが國和歌の最も古きものと
して世にその名高しさてこの命をいわひ
祀れる神社諸国にいと多かる中に今官幣
の奠に預りたまふ社のみを挙くれば当國
大宮町なる官幣大社氷川神社には素盞
鳴尊竒稲田姫命大己貴命を祀り
京都の祇園なる官幣中社八坂神社には
素盞鳴尊稲田姫命及び八柱御子神
を祀れり當国北足立郡三室村なる郷
社氷川女体神社も実にこの稲田姫命
をいはひ祀れる社なりまた古く延喜式
の神名帳に山城國相楽郡綺原坐健伊
那太比賣神社また能登國能登郡久志
伊那太伎比売神社の名見えたるがその
いづれも稲田姫命を祀れる事明かなれ
はこの神をば健稲田姫ともまた久志
伊奈太伎比売と申し候と見えたり
  日本書紀 古事記 古事記伝 古事類苑

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修験道十八箇條警策 年欠 杉山・杉山貞夫家文書 8

  修験道十八箇條警策
一於修験行学二事縦雖不堪其器昼夜
 無退転致慇懃之志現身必可遂
 願望
一入峯昇進興法利之外可絶諸希望
 唯以悉地成就二利円満可為所詮
一於朝暮勤行之時非病患公務住
 私情不可懈怠就中読経之時特可
 思惟観文之義理佛神依法楽増威
 光人間依冥助達玄道
一四威儀無怠繋心於佛祖禁戒住三
 密相應思常可慙三業罪障凢
 諸師八家教法雖區諸悪莫作為
 宗然迺解觸昼夜行跡莫傾油鉢
一入峯修行道具并峯中秘密書籍等
 深執之不可紛失倩思入峯之道
 由十界一如教迹凢身退佛之秘説
 也於汲行者源流輩者専可存未
 代遺風也
一三十三通秘決等任先達訓説守傳
 受旨為錬習日々向一両通過積
 薫修謾以今案邪義莫今推度
 頗是法滅基也
一来峯之輩自恣而令披見峯中
 書籍等越三昧之罪甚以重故
一對入峯之先達則生佛祖之思
 可令随遂給仕雖為小事不可
 違師之厳命併可重三世勝契者也
一雖為同峯同行於峯中書籍者堅
 可秘之依機根勝劣恐堰故也但シ
 於法器之人者聊以莫令拘惜
一行住坐臥道心堅固而須要現身
 佛果本懐抑又住平生臨終
 思雖為読経令誦之隙莫令使乎
 口不浄
一於同行倫者以和合為徳深生父母
 兄弟思雖為一事同心齊志可如来
 一舩
一尊知行道徳不可執俗姓之優劣
 頗忘出家之本意故也四姓出家同
 一釋氏誠言最可知之
一於無益事者縦雖有道理不可及
 諍論自然不快之事出来而失自
 他本意故也
一不論親疎不可説好悪長短将又所
 觸耳目無左右有無不可語干人
一於餘宗不可偏執所詮無差要
 事者與他宗僧不可好交動互相
 有是自悲他之気頗以無益之事也
一以自之短慮不可判他之方知但於
 修行義理者盡心説設言可尋明之
一不着頭襟袈裟不可謁人現放逸
 形儀蒙諸人誹謗豈非慙愧宁
 兼又守衣体本或雖為白地不可着
 異様衣不調之形儀職而由斯
一於駈相之時無差過失咎人損人
 之族多以有之者非道之至不足
 言若有不威儀之事堅誓心中還
 可生顧眄扶持思自他之習不辨
 我分際動求他之訛謬凢師子身
 中蟲如猶能嘬師子可滅我家
 者唯我也是偏菩提本忘自他
 一如之実躰故也
 右之條々客道之用心世出之指南
 也仍而為二三子聊以十八箇警
 策可責初心未行之踈業忘
 所之捃先達之庭訓粗誌之
 波彼餘流輩者如法写之
 懸心置或朝暮勤行砌或衆会
 脛廻之辺或平生安座之所時
 是見之莫令忘却
 不動尊形深祕配属之事
 第一其身肥満奴僕相現結事
 本大日如来方使引棋衆生救為
 假以相現即是行者給仕相貌之
 第二頂上蓮花上宝珠事浄菩提
 心如意寶也大日經疏蓮花臺達
 磨駄都即是法身舎利也釋絡
 猶深義有明師間
 第三七莎髻七覚分表七覚支
 景位至顕現故頂上示也
 第四左辨髪左衆生界表一有一
 子如一切衆生愛護壬義也
 第五額水波雛平等性智配六道
 一切衆生於悪愛親踈隔ナク苦沈
 衆生憂玉貌也
 第六左眼閉事衆生僻見掩
 蔽玉義也又右眼開玉事生死
 涅槃本来不生ナレハ生界仏界但一
 如事示王義興教大師秘釋一目開
 平等知見示謂猶深義アリ明師
 問
 第七身色青黒青四時初春色也
 黒四特終冬色合スルハ初發心行者
 後地仏果不二ナル事示給義也
    久木山春應法第
    武州秩父郡宝積院秀豊敬書

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什物明細目録雛形 年欠 杉山・杉山貞夫家文書 10

     何院寺什物目録之帳
           板井山
             役僧

  何院何寺什物明細目録覚
一境内           御除地反別
              書内畑何程
              但シ御年貢地
一寺            間口何間
              奥行何間
一聖護院宮御令旨      一箱 但シ何通
一寺附印形         一ツ
一法流血脈切紙次第     何程
一縁起旧録諸面       何程
一從地頭方田畑御寄附書物  何程
一本尊躰          何之作
一其外本尊色委細ニ     何寸
              何程ニ而茂
一当寺代々         位牌
一仏器           何程
一卓            何曲
一護摩壇脇卓        壱面
一仏具           何面
一護摩器          何面
一法螺           何口
一経卓           何曲
一大卓           何曲
一打金           何程
一錫杖           何程
一花瓶 三方其外色道具委ク 壱ツ
    書出候
一永願檀家         何軒
 支配之堂社有之者是茂堂社間数委ク書べし
一何堂何社

  諸経目録
一何経           何程
一何経           何程
一何経           何程
一何経           何程

  絵讃目録
一何絵像          何幅
一何絵  何筆       何幅

  古筆並床賭目録
一何筆           何幅
一何筆
一何之筆 色紙       壱枚

  書籍目録
一何之何集         壱部何巻
一何之何記         壱部何巻

  世具目録
一庫裡           間口何間
              奥行何間半
一土蔵           何間
一川            何間
一門扉           何本
一畳            何畳
一硯箱           何ツ
一長持           何竿
一挟箱           何ツ
一大小           何腰
一小袖櫃          何ツ
一膳            何人前
一何色椀          何人前
一何色椀          何人前
 何色椀
一皿            何人前
一其外世具壱通委細ニ書印べし

  社地反別目録
一何々社          御除地何程
一何々明神         御除地何程
一神鏡
一神体有也
一 御除地〆何程
  
  御年貢地
一    田畑目録
一何畑何田         字何所


一水帳通委ク可書出し
 〆何町何反何畝何歩
  農具目録
一高            何ツ
一荷鞍           何口


 是委ク可書
   什物目録終
 当寺什物目録之通
 年号月日    何院何寺
右之通立会相改候通相違無
御座候何卒加印仕候 以上
          名主   何兵衛
          組頭   何右エ門
          組頭惣代 何右エ門
          同断   何兵衛
          隣寺立合 何院
  長命寺
    御役僧衆中

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2009年2月25日 (水)

差上申済口證文之事(断簡) 年欠 杉山・杉山貞夫家文書 13

  差上申済口證文之事
御知行所武州比企郡杉山村百姓安右エ門
後家由里より同村百姓半左エ門聟安兵衛
相手取夫々申願上候処御理解被仰聞
其上御墨付を以村役所江御下ニ
相成候ニ付村役人共双方江理解被
申聞候得共不得止事差縺合ニ付
扱人立入内済仕候趣意左候奉申上候
一扱人立入双方江得与承届候処
 右由里申立候者去文政九戌年

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御達御触書 嘉永六年(1853) 杉山・杉山貞夫家文書 11

  御達御触書
近年諸侯方も其家々ニ依而御振合御勝
手向之義兼々被仰出候通リ年々御臨時
御入用増ニ而追々御借財高莫太ニ相成既ニ
昨年も被 仰出御次第ニ有之候処此度異国
船渡来ニ而御入用夥敷義ニ付当暮御
操廻リ処置与御差詰之御時節ニ相成候ニ付
此度者格別之御厳法相立候様御沙汰之
儀も被為在候折柄於公辺も格別御厳
重ニ御省略被仰出武備専一之御時世ニ相成
候間猶更此度者深き思召ニ而都而御旧例ニ無  
御構御欠略第一之可取調ニ相成候間追々
被仰出筋も可有之候得共先為心得
此段申聞置候就而者毎日御世話有之候
衣類音信贈答酒食取扱之義其外
万端深ク心を附他を不顧一已ニ而倹約
相守惣而無益之入用相省武備之義
肝要ニて相心得候此段若年之向江者
猶更能々可被申聞置候事
八月日
右之通リ此度御家中江被仰出候就而ハ於
在中ニも衣類音信贈答酒食其外都而
不取締無農業第一ニ百姓之者共も
相励諸事奢ケ間敷義不致様可被成候
事 右之触堅相守候事

  御勘定奉行
此度魯西亜船四艘長崎表江渡来
書翰差上度旨相願外ニ別条無之旨
注進有之候右之書翰者可請取旨及
差図ニ候此段為心得向々江可被達置
候事 八月日

  大目付江
右之趣従 公儀御触有之候間可被
相触候 八月十四日
公方様御法号奉称 慎徳院様与候旨
従 公儀御達有之候間為相知候事
上様与奉称候事
右之趣従 公儀御達し有之候間可被
相触候
八月日
  御勘定奉行
公方様一昨四日 御出棺被為済候此段
為相知候郷中辻番人不及差置村々
宿々迄も相心得可申候
一魚類平常之通売歩行候義不苦
 并郷中より他所江拝詣御免相成候事
一府内中見せ出候義不苦并屋台見
 せニ而夜分商売いたし候義不苦候
 此度魯西亜船四艘長崎表江渡来
 書翰差上度旨相願外ニ別条無之旨
 注進有之候右之書翰者可請取旨
 長崎表湊掛リ候役人方江及差図
 此度之時節柄故唐人共之肖語事
 者区々故 御公義より御達之旨無之
 内者実正ニ不相成候此段為心得向々江
 被達置候事八月

  御目付江
質素節倹之義所々纏数度被 仰出も
有之候処万石以上以下共都而驕奢之旧
習不相立直向も有之且近年異国
船度々渡来彼是御備筋之御
入用も有之諸家之失費不為依候ハ此度
於 御公儀ニも五ヶ年之間際立候御験約
可遊思召ニ候間右年限中は何も格別
諸事雑費を省防御ニ武備之筋一
図ニ力を用可申候万石以上之面々登城
ニも木綿之服取決着用不苦候
其外兼々被仰出候音信贈答供
連家作向等之義者廉々惣而右振
合唯シ格別之節倹相用此度御
沙汰之趣能々行届候様一同厚ク
可被心得候就而ハ追々御取調之義
も有之候間此上共等閑之輩有之候ハゝ
御沙汰之品も可有之右之趣可相触候
右之趣従 御公儀御触有之間可致
相触候 七月廿九日
   御触
一諸借金銀弃捐被仰出候旨風聞
 有之町人者危踏貸出金見合候哉
 ニも相聞左候而者世上金銀取引
 融通手掛リ拘リ以之外之事ニ候去ル
 卯年相対済被仰出候間合茂無之
 町人共一同可致難儀筋ニ付右躰
 之御沙汰更ニ無之間安心致聊融通
 無滞可致候
 右之通御触書付出候間町人中家持
 借家店借哀々迄壱人別ニ不洩様ニ
 名主共早々支配限リ可相触候
            町年寄役所
  九月六日
    市中世話掛取締掛名主
一近来異国船度々渡来致シ武備
 専要之折柄ニ候処町人之貸出金弃
 捐又者半高無利足年賦等之義も
 危踏武家之用弁心至而差支候由
 ニ付右等之御沙汰者無之事ニ候間
 安心致聊融通無滞取引可致
 旨今般被仰出候ニ付其段触に候得共
 一躰去寅年九月貸金利下ケ申渡
 候節以後弃捐等之御沙汰は無之義
 ニ付金主共利下ケ申渡シ候安心致貸出
 世間之融通無差支様可致旨相触
 去卯年相対済被仰出候ニ付町人共
 案外之義与相聞候処今般之義者
 御仁恵御趣意を以被仰出候義ニ付
 向後聊無懸念融通向不相滞
 様其方共義厚ク相心得町人共篤与
 申聞候様可致右申渡之趣証文
 申付候事
   嘉永六丑年
     九月七日
 右者今日北御番所御白洲ニ於而
 被仰渡候間此段御達し申候以上
              組合
               取締掛リ

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角行藤仏御大行記 年欠 杉山・杉山貞夫家 19

角行藤仏御大行記 年欠 杉山・杉山貞夫家 19
角行当仏空御大行并に
御出生の事
冨士行者角行当仏空生
国ハ肥前の国長崎にて御先
祖ハ大職冠内大臣鎌足の后
胤長谷川氏にて三位中
将左近の太夫藤原の久
光の男なり母者二條寺
二位藤原清安の娘なり
天文十年庚午の正月十五
日辰の一天に出生す然る
に応仁以来より百余
年の間天下大に乱れ諸
国に合戦止事なし此故に
上ハ一天の主中者将軍下
ハ万民の歎き大方ならず
然とも乱を治むる武士一人も
なし我等も先祖より
武門に代々生るゝと雖是
亦其器を得ず此故に唯
一すしに我願ハ神国にし
て神力を以て兵乱を治
め奉るべくと夫婦もろ
とも家内の者の眼を忍ひ
一七日の間天へ願ひ申奉る
ハ応仁以来天下乱れ諸国
に合戦止事なし此故に
神祖の御末一天の君を
始め下者万民の歎き少なから
ず是を深く歎き悲むと雖
其器を得ずして智も勇
もなし我れ弓箭を以て
是を治むることあたハず願く者
日月星の御慈悲に我に一
人の男子を御授け給へと
願奉り一七日の間天に御
祈り御心願なされ候処然る
に三七日にして願成就
して其夜北斗星の御告
けにて我体内を仮りて
願ひ成就いたすべくと霊
験なり此故に月日有之男
の子一人出生す同苗竹松と
申奉り後に左近と申奉る
十八才にして岩行に入り一万
八千八百日不願一命大行な
され角行当仏空と申奉り
是則日月明星浅間大日北斗
星の御守護なれハ疑ふこと
なかれ此故に一生の御大行
を御直伝に請奉り然るに
竹松君七歳の御時に北斗星の
御告けに曰く汝ハ是此度修行
する事天下兵乱を治め民を
助け衆生済度の為に修行
致す処なり然れともいまた
天下を治ることのハず此故に国
妙の賊を滅し申べく日月苗
星の御神力を以て願へ成就
すべくの節来らハ天下の
衆も汝と同しく開け申べ
く尤も父母の願に依て汝か修
行なり一ト筋に祈り申
べくと御告けなり此故に
永禄二末の年十八才の時御
本心の思召あらせ日光天
の御修行成し給ふ東の端
常陸の国に至り我身一人す
てゝ父母の御恩徳天下万民の
為に大行仕り夫より奥洲たつ
この岩屋に入り三七日の間食
絶ち大行仕候処何の不思義も
なく亦三七日の間大行仕候段
役の行者此処にて新ら行致
され候事何んの願にて此行
致され候哉と申されけれハ
行者答て曰く我ハ父母の命
に依て仕此故ハ世界の合戦止
むことなくして上ハ一天の君
御叡慮を休め奉らず下ハ万
民の難義是を助け度候得
共人力に及ハず此故に日月
星三光の御力らにて是
を助け度天下泰平国土
安穏衆生済度致度此大
行仕なりと答申けり其
時役の行者申而曰くかゝる
大行有難き儀ハ此処にて
ハ成就いたし難し是より
西に当り駿河の国冨士浅間
大日と申奉るあり是ハ天地
開闢世界の柱にして
同月星の成土にして人躰の始
なり此御神の御躰内より
始めて木火土金水の身躰
五神生れ給ふて始て天地と
分れ給ふ衆三界六合草木
の身の神生れ給ふ三度目
にハ日の御神月の御神
米の御神生れ給ふてより
天地明るくなり夫より一切
の龍神躰生れ給ふ夫より人
躰の始万物のはしめにして
亦神尊の御末大山祇の神
初て木花開邪姫命を御娶り
なされてより御神孫長く
御続き遊され日本人皇の
始めなり此故に人皇に至り
ても此御神力にて国を治
め給ふこと我朝のはしめ
にして三国無双の霊山な
り是に依て大和武の命東
夷征討の時此御神の御神
力に依て治め給ふ也此故に
行者の願処の心願ハ富士
浅間大日と御利生願べく尤
西に当り行場あり人穴と申
処なり此所へ参り大行致べ
く神力有事疑なしと御
告有夫より奥州を御立ち
駿河の国へ御出なされ里人に
人穴と申処を御尋ね候処人
穴と申所御座候得共昔時より此
処の氏神にて此穴へ入る事ハ
なり申さず候此穴に若し入り候
者ハ出るものなし入る事御座
候ハバ忽ち此処に疫病をうけ
亦ハ田畑にさわり五穀熟々す
此故に近所に寄ものなし昔
時武将頼朝公牧猟の時新田
四郎入り候得共一度ハ主命に
依て出候得共讒人の為に末くに至
て家断絶す此故に依て頼朝
公子孫続かず依て此穴に入こと
成申さずと答へけり行者如何
致べきかと存じ其夜ハ此
処に休みけり此時里人申ける
ハ行者この処の脇に白糸の滝
と申す処あり宜き行場に御
座候是へ御出なされ候へと云れ
申候間夫より白糸の滝へ御尋
なされて此処にて先つ一七日
の間人穴に岩入の義御願へな
され候処有難哉一七日成就の
夜に何国ともなく天童一人
来りて行者人穴に入事の願
我と共に来るべしと先に
立道を行き人穴の口に行て
行者是より岩入致すべし
必ず里人の眼を忍ふべしと
御伝へなされ何国ともなく
御うせ給ふ此時人穴へ入り申べく
と存し候得共暗夜にして一こう
道も分らず此故に念願致し我願
成就仕らハ浅間大日御神力にて人
穴に岩入致さしめ若願成就仕らずハ
此処にて一命を差上申と心願仕
人穴へ飛入給ふ然るにらく有之御人穴に
落入給ふなり此時有難や少も此
身に恙なく岩入なされ候何程に
も暗きこと限りなく此故に其
侭坐然仕一七日の間眼開かさると誓願仕
り一七日の間不願退大観行仕候其満るの
日に至て眼を開き候処不思義哉有難
や御穴の内白昼の如し光り明
るきこと外の如し此故に千哩を
浅間大日神へ礼拝して御礼
申上げ光明と共に奥へ入り
候処童子一人現れ給ふ
て行者ハ此穴に入候者昔時より
一命保つもの一人もなし然るを
行者も此儀を存して入候哉亦
ハそんせず入候哉此時行者答
て申我元より浅間大日神へ一命
を差上候而岩入仕候間少も
苦しからずと申上候童子亦
曰く行者何故に来り候哉
行者答て我ハ大日神へ心願
有之岩入仕候然者我一命
差上大行仕候食絶致有
候此時念願成就仕候得者何様
にも一命懸け大行仕旨御請
申上奉り候然れハ大行仕べき
ことをつたへ申べく先此処に
て角の柱を以大行仕べく尤四寸五分四方
の角なり此上に両足つま立
日に三度夜に三度昼夜六度の
水こりをとり申べく尤汝四寸
五分四方の角に立亦昼夜六度
の水を浴ること限り有て能く勤
め申べく是より下り神出村と
申処に白糸の滝と申有り此水
にて身を浄め申べし又うちよ
り三十三杯の水を以て六根
を浄め一千日の間大行致べく
尤汝孝心の行に依て願成就す
べし必ず怠ることなかれと有之
天童子奥へ御入りなされ然るに
三ツの猿来て一ツの猿者御伝ヘ
の角柱をもち来り是を渡す
今一ツの猿ハ椀の如くの物持ち来
りて是を渡すいま一ツの猿来
て木の実を渡す此木の実ハ
行者の食に浅間大日より下
され候なりと是を渡す三ツ
の猿奥へ入り此時行者その
木の実を食して見るに
其味甘く酸く辛く鹹く五味
の味ハへ有亦木の実盡る
時ハ彼猿来て是を渡す
或時に彼猿に木の実者何国
に有哉と尋けれハ御山をさ
して半腹に有よし申けり此
後年至りて家康公此人穴に
御入りなされ候彼の木の実
を公儀へ献上になり夫より永
禄元年巳の午の四月始て
の申の日より成土に角柱を立
其上につまたちて日に三度
夜に三度水こりを取り内よりハ
三十三杯の水を以て内身六根を
浄め不願大行仕候事一千日
なり爰に千日満願して永
禄三庚申の年四月申の日始
めて浅間大日神御現れさせ
御直伝に角の行者と御声
高くに受與遊され候此時行者
行場を下り平伏して御礼申
上候此時浅間大日神情々仰せ
らるゝに国に賊有之国を乱
す家に賊有之家を乱す君臣
和合なき故なり亦天下の乱ハ
上に慈悲なくして下として上を
敬まハず斯如く天地和合なく
是一天の主天拝を怠り
下を思ハず上一人より下万民
に至る迄国治らさる基なり
是天神地祇一体和合して
万物を恵み治る事是国の
綱基なり此故に行者天地
和合の岩入正行の本を改め
申後必ず天下治るなり是に
依て
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法印御免之事 享保六年(1721) 杉山・杉山貞夫家文書 23

  法印御免之事
被聞召證不可有子細旨
三山奉行若王子御房所被
仰出也仍執達如件
 享保六年八月三日 法橋義元 花押
          法橋定応 花押
   武州比企郡杉山村長命寺同行
               大蔵院

          杉山・杉山貞夫家文書 23.pdf

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2009年2月23日 (月)

法印御免之事 延享三年(1746) 杉山・杉山貞夫家文書 26

法印御免之事 延享三年(1746) 杉山・杉山貞夫家文書 26
  法印御免之事
被聞召證不可有子細旨
検校宮依御気色
三山奉行若王子御房所被
仰出也仍執達如件
 延享三年七月二十二日  法橋珍秀 花押
             法橋将応 花押
   武州比企郡杉山村
          大蔵院

     杉山・杉山貞夫家文書 26.pdf

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